魅了

ドラマとか映画の登場人物に対して、なんとなく、こういう感じの人間に惹かれるなと思うことがある。それが良い人の役であろうが悪い役であろうが、関係なくそう思う。それは物語中の中心でふるまう好人物ならではの魅力、脇役、悪役ならではの魅力…というよりも、そういった役柄を越えて交じり合う人間の仕草や表情や身振りからふりまかれる意味の魅力であろう。そしてそのような見方を、おそらく現実の人間に対しても適用しているところはあって、仕事や利害関係とか、客と主人の関係とか、友人関係とか、生きている上でのさまざまな条件を越えて、ただ一方的に観察したときの「そういう感じ」が、自分にとって悪くない、何か好ましい魅力をたたえているな、と思うことはある。それこそ、必ずしも友好的な関係じゃないとか、さほど親しくないとか、そういう相手だったとしても、それを越えて(それをいったんカッコに括るからこそ)、感じられる魅力というのはある。明確な理由なく、さしたる根拠もなく、ただ雰囲気で、ただ何となく、ああいう感じって、なんか良い気がする、アリな気がする、まだ気づけてないあらたな面白さのきっかけな気がする、といった、そんな気分を、誰かを見て感じていた方が、とりあえず生きている上では楽しい。この世のあらゆる体験を楽しむ一環として、そのような気持ちを保持することは大事だ。それが単に自分勝手な、自分の頭の中だけにある妄想のイメージであったとしても、それはそれで良いのだ。そういう感覚も、ふと気付けば今やずいぶん少なくなったと感じる。周りを見回しても、上も下も、どこもかしこも皆つまらない、さすがにそこまでは言わないけど、ただぼんやりと、周りを右往左往する人々を受け身の状態のまま観察してるだけで、昔だったらもう少し面白味を感じたものだけどな…と思う。おそらくそれも、年齢を重ねたことでの変化の一つではあるだろう。