十年

二十代の終わりに会社員になって、三十代、四十代と、過ぎてしまって、と、自分で書いていても信じられないような話で、めまいがする。来年の六月に五十歳になる、つまり五十代という時間が、これからやってくる。それもまた、めまいをおぼえる話ではある。

三十代、四十代と、過去に二つの十年があって、記憶の色合いや質感が、それぞれ少しずつ違う。十代はちょっとその並びには加わらない。二十代もじつはちょっと違う。記憶というか、自分というものの認識を時間で区切ると、どのようになるのかというと、はじまりは十三歳あたり、そこから二十九歳あたりまで、それと三十歳から四十九歳まで、そんな風に大きく二つに分けられる気がする。四十代は三十代の延長ではあった、少なくともそのつもりではあった。しかし来たるべき五十代が、これまでの延長なのか、また別の枠になるのか、そこはまだわからない。しかし延長ではない可能性が、高い気もする。何やらもう一苦労ある気がして、曖昧でかすかな、ぼやっとした嫌な予感もある。

昔、このブログに以下のような記事を書いたことがあった。(https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/20111017/p1)2011年だから四十歳のときだ。当時、いったいどういうつもりだったのか、バカなことを書いているとは思うが、もしかしたら、延長でもなく新規でもなく、私は五十歳になったと記述したその時点に、これから戻る、そんな選択肢もあるのだろうか。まさかとは思うが、あらかじめその道を開けて用意しておいたとでも言うのか?どうだかわからないけど、そうだとしたら、それもいいな。積極的退行へ、その方向も視野に入れたい。