組立

本棚を組み立てる。でかくて重くて、それなりに苦戦するも、正午あたりに何とか完成させる。続けて本の選別・移動・収納の作業へ移行する。結果的に、家中にあるすべての本がほぼもれなく確認対象となった。総監督は妻で、自分はきのうまで本の山だった場所が今や空き地になっているそこを清拭してきれいにする役目を主に担う。家にある本の、これほど大掛かりな棚卸は、十年以上ぶりだと思う。おそらく三連休のほぼすべてが、この作業に費やされることになりそうだと、いつしか夫婦共無言のうちに覚悟を決める。

期待されるのは、これを機にどれだけの本を手放すことができるかで、捨てる本が多いほど生活環境としては快適になるのだが、我々の資質として、そういった気概に欠けているところは否めないので、さほどかんばしい成果は出ないだろうな・・とも予想していた、けれどもふたを開けてみれば、意外にがんばったというか、さよなら候補の本の山が思った以上にそれなりに高く積みあがって、今日だけでたぶん百冊くらいは捨てることになりそう(捨てるというか買い取り業者に送り出す)。これだけの量の本を一気に手放すのは、二人史上初である。お互いに気を確かにもち励ましあって頑張った甲斐があったというものだ。

自分としては断捨離のかたわらで、家具やらオーディオやらが積みあがってる作業机周りの一角もいったんすべて解体し、掃除し、再配線構築する作業もやった。これも前々からやりたかったけれど出来なかったことで、じつに十三年ぶりの掃除とメンテナンスが実現した。なぜ十三年前であることがわかったかといえば、スピーカーの下に敷いた新聞とか、これまで取り出すどころか所在確認さえ不可能だった、今回の掃除によってついに発掘された各種雑誌類や本類のほとんどが二〇〇七年前後のものだったからだ。

なんというか、大掃除というよりも、自室そのものを人間ドックに入れて精密検査したような感じがする。そしてとりあえず、さっぱりした気分を手に入れることには成功した。夕方までかかってヘトヘトになったけれども。

所蔵本を見返して、捨てるか残すかを考えるというのは、必要以上に回顧的になってもダメだし、あまりに割り切り過ぎてもダメなのだろうけど、結局はこのあと自分が何を読んでいきたいのか、どの方向へ向かいそうだと思うのか、そのうえで既存のこれらが、役に立つことがあるのか、まるで役立たずなのか、あるいはむしろ足を引っ張るのか、そのあたりをいくつものパターンで思い浮かべて、今後としてどのストーリーラインに乗るのかで決めるというのか、捨てるのもいい流れだし、残すのもいい流れだと思えて、それで捨てるみたいなのが最善だとも思うが、そんな、ごちゃごちゃ考えてないで、勘で判断してとっとと捨てるのが一番だというのもあって、あー捨てなきゃ良かったと思ったことが過去に一度でもあったかを思い出したい、無いならむしろそんな後悔の実績がほしいとのぞむことでもある。

とりあえず日が暮れて、一日を費やした結果としての、新しい本棚の前に椅子を置いてそこに座りこんで、新旧シャッフルされ直した書籍群のあらたな構成で早くもぎっしりと埋まりつつある、妙に取り澄ました感じの棚を上から下までゆっくりと眺めているのは、それなりにというか、やや自己愛めいた満足感があって、それがかえって気持ち悪く落ち着かぬ気分でもある。