ポッピズム

自室はふだんろくに掃除もせず整理整頓もなってないので、CDだの本だのが床のあちこちに積み重なり山脈をなしていて、今日のようにふと気が向いて山々の一角から何冊かの本を取り出そうとしたり、あるいは底に沈んでるCDを取り出そうとしたならば、それは濛々と巻き起こる塵埃との攻防を意味する。何かを動かす、引っ張り出すの一動作のたびにウェットティッシュで抑えて、物の表面や身元や周囲をこまめに清拭して、環境破壊の被害を最小限に抑えるべく振る舞うのだが、それでも唐突にそんな発掘作業をはじめる自分を見て妻は浮かぬ顔をする。片づけてるのかさらに散らかしてるのか、はっきりしないからだろう。

とくにあてもなく、しかしひとしきりの努力で発掘された出土品の数々を無造作に積んで、ざっくばらんに上から吟味し、もう二度と聴かれなくてもおかしくない音楽をあえて聴いてみるとか、読んだか読んでないのかもおぼえてないような本をいまさら一ページ目から読み始めるとか、今から約十年、古くは二十年以上も前に入手したそれらの醸し出している軽いなつかしさと戯れるようにして過ごす休日だが今日はそれでかまわない。アンディ・ウォーホル、パット・ハケットの「ポッピズム」を読んでいたら、まるでなつかしい友人たちとのかつての時間を、ありありと思い起こしているような錯覚におちいる。いや、これを読んでいた二十代の頃、この本はけして楽しい読書ではなかった。それは二十世紀にもっとも輝いた才気の一つと呼ばれもしただろう現代美術エリートたちの神話であって、当時の浅はかな自分にはあまりにも眩しく、未熟な自分に手の届く程度の適当な引っ掛かりを見出すこともできず、当時の現実とはかけはなれた別世界の遠さと味気無さばかりを感じたのではなかっただろうか。それが今になってようやく、まるで目の前の出来事を楽しむかのように、心地よい刺激をもって読むことができているのだ。別になつかしいから楽しいわけじゃなくて、単にどれもこれも、読んでないし聴いてなかった。そうだったのか、君ってそんな人だったのかと、いまさら思い知った。