間隙

朝起きたら、ひどい筋肉痛で愕然とする。なんたることか、あれだけ水泳だの何だの、運動のことばかり気にするくせに、本棚つくって一日掃除しただけでこれかと。

しかも、昨日までは比較的良好だった鼻の状態が今日はアレルギー性鼻炎の典型的症状が発症していて最悪だ。もともとハウスダストに弱い体質ではあるが、一日遅れて症状があらわれた。今のご時世にこれほどくしゃみを繰り返して外を歩いたら、自治会から捕獲されてその日のうちに公開処刑されそうだ。

昨日からの大掃除で、本類とともにクローゼット内に沈滞していた衣服各種も、かなりの量を廃棄扱いとして掘り起こしてひとまとめにした。まさに画期的と言ってよいほどの分量である。ただし鼻へのダメージはこの作業によって被った可能性が高い。

しかし、これで部屋のところどころに隙間が生じて、一見そんなに変わらないのだけど、よくよく見ると色々な場所が空いているのは、けっこう精神的な余裕を与えてくれるものだ。文字通りの、あらたな可能性の余地である。モノがないというのは、端的によろこびなのだ。それも若者に特権的に付与される類のよろこびなのだ。そのことを実感した。だったら常にモノを捨て続ければいいじゃないかと言われそうだが、それをしたくても出来ないのが、若くないということなのだ。そんなのここでいちいち説明しなくても、きみだって年を取ればすぐわかることだ。

今日はあまり深追いせず早めに掃除も切り上げ。筋肉痛で節々がギシギシと音を立てそうなのを無理矢理指図して言い聞かせるように着替えて外出。買い物のついでに、公園に植わってる蝋梅を見に行く。が、まだつぼみがようやく膨らもうとしているところで何の見どころもなし。香りもなし。よしんば香ったところで今日の嗅覚ではなにもわからないだろうが。おそらく開花は今月末あたりだろうか。