飛沫

感染予防対策を、常に心がけなければいけなくなって、世間がそんな雰囲気になってきたのが、ちょうど一年前くらいか。まだしばらくのあいだはこれが続くわけだが、きっといつかは、新型コロナウィルスの脅威も収束するのだとして、しかしこれ以降、人と人がマスク無しで、生身の顔と顔とを向き合わせて、以前ように何の屈託もなく警戒もなく、会話したり食事したり出来る日が、はたしておとずれるのだろうか?もちろんそれが許容される日は確実にくるのだとしても、その日を迎えて、それ以前の生活感覚へ、スムーズに戻れるのか。きっと戻れる人もいれば、戻れない人もいるだろう。いずれにせよ、向かい合って喋るときに、口腔からはたくさんの飛沫が飛ぶという事実を知ってしまった(知識としてではなく実感として、あるいは世間知として知った)ならば、マスクをする人としない人の溝は、今後も埋まらないだろう。

他者の身体から物質が飛び散るということ。それを認識しつつ、なおも場を共有し、身体同士を近づけ、息遣いやたたずまいを感じ、接触することの意味、そこで何が起きているのか、認識(今までこうだと思っていた、あるいは、こうではないと思っていたこと)は、変容する。テクノロジー進化の影響など比べ物にならないほど多大な変容が、この一年で起きた。それはほとんど戦争がもたらす認識の変容に近いくらいの多大さではないか。