群衆

安倍前首相が秋葉原で街頭演説する車の周りに、まるで戦国時代みたいにたくさんの幟を立てた群衆が取り囲んで、めいめい好き勝手に、大声でヤジを飛ばしまくって、叫び騒ぎ罵りあって大騒ぎしてる映像をテレビで見たとき、もしかして大正デモクラシー時代の日比谷公園もこんな感じだったのかもしれないと思った。

群衆というのは、迫力がある。昔、お正月に出掛けた先で、箱根駅伝のランナーを街頭で見物応援してる群衆をたまたま見かけたときにそう思った。あれだけの人たちが集まって、選手が見えた途端に、わーっと拍手の音が聴こえて、がんばれとか何とか声が上がって、あの群衆そのものが一つの生物のように、むくむくと生きて動いて興奮している感じは、後ろから離れて見ているだけでも、かなり凄いものだった。ああいう中に自分も混じって騒ぐというのが、まさに社会運動への参加であり、自由主義や民主主義を求める活動の手触りであるように思ったとしても、それもわかる気がする。

この前、竹橋の美術館を出て日本武道館の前を通りかかったとき、どうやらBABYMETALのコンサートが開催されるらしく、周囲には開場を待ってるそれっぽい恰好の中年男性がたくさんいた。あれだけ多数の人が、皆共通の服装やアイテムで緩く共鳴し合いながら、それぞれじっと待っている光景にも、やはり独特の迫力を感じた。音楽と、それに付随する物流や販売やインフラ設備や各意匠などの動きがあの場に隠されていて、それらを支えているのがそこに集うひとりひとりで、おそろしく原始的な構造ながら実際にその光景を目の当たりにすると、有無を言わせぬ迫力がある。群衆の凄さ、そして催事(祭事)の凄さと言えるか。コンサートに人が集まってくるというのはすごいことだと今更のように思った。