蔵の中

宇野浩二「蔵の中」(1918年)を読んだ。なるほど…たしかに、これはすごい。救いようがないほどにダメダメな主人公のダメさを強調するために、意図的に弛緩させた行き当たりばったりな構成っぽい体裁にして、言いたいことだけをダダ漏れに書いただけ、みたいな感じで書きつらねてある。それでも、本当にそういう文章だったならばおそらく漂うような凡庸な匂いがなくて、というのは大抵のダメ告白というのが、どうしても平凡でありふれた範疇においてしかあらわすことができないものであろうから、と思うが、この作品においてはそんな退屈さが感じられない。ダメさが突き抜けているということでもないのだが、何か奇妙な一貫性の芯が一本通っているというか、おそろしく独自な、誰にも利用できない特定個人専用のセオリーが、その人物を律し、刺し貫いてるかのように感じられるから、だろうか。それはやはりこの文体というのか、語りの呼吸感、その人となりのようなものから、そのように想像してしまうのか。