家来

ちょっと昔の小説に「子供の家来として、犬を飼うのも良いだろうと思った…」みたいな言葉が出て来て、なるほど親とは、飼い犬についてそんな風に考えるものかと思った。しかし現代の親も同じように考えるのかどうか。子供の家来としての犬。けっして子供のおもちゃではない、また家族でもないし、友達でもない、あくまでも家来としての犬。家来は主人に対して服従する。主人は家来を養い自組織を維持する。そういった関係性を、我が子にも経験させようということだ。そのような考え方自体は今もありうる。ただし家来という言葉には軽く死語の匂いがする。「子供の家来として、犬を飼うのも良いだろうと思った」と考える父親からは、かつての封建的な主、旧来の家長という印象を受ける。今の家庭にはもはや、主人も家来もいなくなったのだと思う。