ヘカテ

ダニエル・シュミット「ヘカテ」録画を観る。1942年スイスの宴席から回想される、北アフリカのどこか植民地で領事館員の男が愛人との恋に狂って自我崩壊寸前になるが、何とか気を持ち直して別離の後、平凡に勤務を続けてやがてそれなりに出世して、数年後に再び彼女に会うという話。波乱の世の20世紀における本作の主人公は、ダニエル・シュミット的に悩み苦しむというよりも、ブラインド越しのストライプ状になった光線の下で、苦悶して、徘徊して、感情剥き出しで周囲に怒鳴り散らす感じなのがすこし意外に思われるが、最後のゲッソリと頬のこけた表情は如何にもなダニエルシュミット的男性像。ファム・ファタル的な女性もミステリアスで妖しい雰囲気というよりも、わりとサバサバした感じのさっぱり系な現代的女性な感じなのも面白い。全体的に、八十年代に作られた佳品、という印象で、陰鬱さや重厚さは今まで観たダニエル・シュミット作品に比べると希薄だ。しかしそれでもやはりこれはクラシカルだなあと思わされるのは、オリエンタリズムに満ちた異国の地だからこそ余計にきわだつ、旧来の価値の上に堂々とふんぞりかえった西洋人の(当時の高等民の)感じ。仕事など放り出して無為な時間をひたすら遊蕩に費やし、愛人の姿が見えないので完全にヒステリーを起こして怒り狂いながらバイクを走らせ現地時の子供たちに平然と当り散らして追い払い、召使や路地のアラブ系の現地人をほとんど犬猫のようにしか思っておらずそのことに何の後ろめたさも感じておらず、狂いたいだけ、自分の身悶えしたいだけするというのが、天真爛漫な悩みの中に過ごしている、ほとんど神話のような話にも思われる。

職場とカフェを行き来するのが唯一の楽しみだと口にする上司の侘び寂びの境地で枯れ切ったような雰囲気、前世紀半ばの非常に危うい世界の動向などいっさい意に介さず自分の興味だけに翻弄されている人たちばかり(女の亭主はシベリアで自ら女と距離を置くために今の戦争がいつまでも続くことを望んでいる。)の、こういう映画を平然とつくってしまうことの堂々たる貫禄というか開き直りというか。とにかくヨーロッパがヨーロッパのままであることに微塵も疑いをもたず、そのまま堂々と図体を横たえているような感じが、わりとこじんまりとした作品であるからこそ余計に実感される。ウィキペディアによれば原作は小説で、作者のポール・モラン自身が外交官で各国を巡るなど本作の主人公と重なるところも多いようで、その意味でもやはり昔話、というよりも二十世紀の話なのだと思う。もう二十世紀は、遠くに行ってしまった。