久しぶりに下北沢に行って、駅前から代田の周辺までかけて散歩した。我が住まいのある足立区の景色と、ここ下北沢の景色のもっとも大きな違いは勾配の有無である。ちょっと驚くほどに、この町は坂道ばかりの印象がある。ちょっと日野市や八王子市を思い起こさせるような、坂道がたくさんあるというよりも、全体が昇ったり下ったりの大きな坂道で、そこに町が貼りついてるような感じである。歩く先の道がせり上がって、景色が自分の目線よりも高い位置まできて、その先をさえぎっていたり、逆にどーんと谷底のように下って底が見えなくて、その先はまた登っていたりする。かなりの高低差だ、自転車ならバッテリー搭載のやつじゃないとかなり体力的に辛いだろう、これほど上ったり下ったりは、あまりなじみのないものだ。というか、自分らのふだん歩いている足立区葛飾区近辺が、いかに高低差のない平坦な地面かということだ。もちろん足立葛飾がいくら平坦といっても、周りに高い建物がなく四方に広大な空間の広がるような場所は、荒川河川敷あたりまで行かなければ無いのだが、それでもどこを歩こうが道と視線の先は常に一定で、行く先が自分の目線より上に来るようなことはまずない。それにくらべてこの世田谷の景色ときたら、たいへん高級な戸建て住宅が立ち並ぶ一角を歩きながら、これらの家々一軒どれもが、建築時は地面の勾配をきちんと計算して水平の地盤を設定したのちに建てられているのだろうなというのが想像される、すなわちどの家も地面に建っているというよりは仮設された平行線に従って建っている。でもそれこそが「山の手」であり、湿地や河水のおよぶような場所ではないということでもあるだろう。たぶんこの地に住むというとき「見下ろす」という視点が少なからず感覚に入ってくるはずで、ふと視界がひらけて駅前と伸びる線路の先が自分の立つ位置からあきらかに俯瞰の印象で広がったときに、これこそこの土地に独特の景色なのだなと思った。「見上げる」視線はあまりなくて、見上げる以前にさえぎられてしまうのだが、それでも東西南北への移動に上と下が必然的に入り込んでるというのは、そういう土地に暮らしているうちに長くゆっくりと感覚のなかに培養されていくだろう。