八分

歌いながら弾くベーシストは、あれはすごいことだと思う。ギターとかピアノみたいな伴奏的な楽器なら、楽器の演奏と歌う行為とが、あまり干渉しないような気がするけど、ベースという楽器は単音指弾きで、ある一定の集中力を維持しなければ継続不可能な演奏方法に思えて、かつ歌うというのはほとんど自分の想像を越えてくる感がある。

エイトビートの八分刻みなら、かろうじて歌うことと兼務可能と思えるだろうか、もしピックを使うなら可能だと思える。というか、そもそもベースを指弾きするというのが、すごいことだといつも思う。中学生のときからそう思っている。ベースという楽器をはじめて知ったときに、そのパートの音楽として担う役割よりも、弾き方、操り方自体に、強いインパクトを受けたことをおぼえている。もともと、コントラバスを指で弾くというアイデアを思い付いたのは誰なのか。指弾きすること自体は昔からあっただろうが、それが大衆音楽の跳ねるリズムを支えるにもっとも適したやり方だと気付いたのは誰なのか。それはもはや特定できる個人ではなく音楽的な営みのなかで自然にそうなったのだろうか。

なにしろ単音指弾きで刻むリズムというのを、自分は身体的感覚として、まだぴったりとイメージできない。ドラムとかギターの演奏に使われる身体は、音楽にぴったりと寄り添っている感じがするのだが、指弾きのベースはそう思えない。人差し指と中指の二本の力だけで、あの強靭なリズムが生みだされ続けるということが、上手く想像の焦点をむすばないのだ。

ただしこれはあくまでも想像上の話で、指弾きのエイトビートの八分刻みベースのすばらしいグルーブ感は、いつ聴いても圧倒的に気持ちのいいものだ。あまりにも素敵で幸福感に満ちていて、ほとんど夢のようだとすら思う。

などということを、くるりライブ配信(くるりライブツアー2021)を観ながら思う。それにしてもくるりライブ配信は、いつも音質が良い。音質だけで一定の満足感を得られるほどだ。