ギターの弦を買った。たぶん、九十年代に買って以来だ。弦のないギターがずっと部屋にあって、このギターを買ったのはたしか十九歳のときだから三十年以上前で、その後学生時代を終えてしばらく実家にいたり、その後結婚したり、引っ越したり、いろいろな局面を経て、今もこの自室にある。このギターを弾き始めたのは十五歳頃からで、その後三十歳くらいまではギターを弾くことが日常において当たり前だったのだが、いつの間にかとくに理由もなく弾かなくなり、やがて弦は錆びつき、いつしかギター本体から取り除かれ、弦のないギターはそのまま部屋の置物と化して、そのままたぶんすでに十五年くらいは経つだろう。要するに僕は、ギターを弾く人だった期間と、ギターを弾かない人だった期間で、すでに後者の期間のほうが、大幅に長くなっている。これは地味にけっこう驚きだ。この歳になるとしばしば痛感するのだが、自分はこうで、こういうことばかりやっていて、という思いが自己認識としてあっても、冷静に考えてみると、少なくとも延べ時間で換算すると意外とそうでもない、そういうことばかりやっていたわけでもないのだ、少なくとも時間で計測するなら、と思う。とはいえ時間配分の多少と記憶とは比例しないわけで、久々に弦を買おうと思えば、買うものはすぐにあれだと思い浮かべられるくらいには、ギターにまつわる記憶は、脳内の比較的最近の棚にまだ収まってる感じがある。