年月

自分が高校生だったのは一九八七~九年だが、RCサクセションは一九七〇年にデビューしていた。日本にも昔から活動しているバンドはあったが、ロックバンドが十五年以上も続いているのは、その当時では珍しかったはず。とはいえ長い不遇時代があるので十五年もの間ずっと第一線で活躍とは言えないかもしれないが、ずっと現役であることはたしかだった。高校生の自分にとって、あるバンドが十五年も活動が続いているというのは、途方もないことに思えた。そもそも高校生には、十五年という時間のボリューム感をよくわかってないというのもある。

ローリングストーンズがアルバム「スティール・ホイールズ」をリリースしたのは、自分が高三のとき(一九八九年)で、まさかストーンズのニューアルバムを体験することになるとは…と思うほど、当時のストーンズは解散必至という雰囲気だった(その後やたらと活発に活動するようになるが)。計算してみれば当時のミックジャガーとキースリチャーズは四六歳だ。ローリングストーンズとはそろそろ五〇歳になろうとする人たちによるバンドであるということが、あらためて驚くべきことに感じられたものだ。もちろんRCサクセション忌野清志郎もその時点で四〇手前に差し掛かっており、そのこともちょっとありえないような「大変な話」だと当時の自分は思っていた。

しかし今現在において、十年や二十年のキャリアがあるバンドはまったく珍しくないし、四〇歳でも五〇歳でも六〇歳でもバンドはやれる。プロアマ問わず、そんな人は日本にもたくさんいる。しかしそれは、昔ならありえなかった。八〇年代というのは、少なくとも日本で、五〇歳や六〇歳という年齢になってもロックバンドをやり続けてきた人は皆無だったのだ。ローリングストーンズでさえ四〇代であり、それでも「大変な話」に感じられたのだ。まあそれは、あたりまえのことだけど。

(今、ストーンズの二人は七〇代後半だが、七〇代のメンバーによるストーンズというのを、八〇年代に思い浮かべるとしたら完全に笑いのネタとしてであった。さすがにそれは…と一笑に付すたぐいのイメージであっただろう。)

(八〇年代の人々が思い浮かべていた七〇代の老人が、今現実に存在する七〇代の老人とはたぶんまるで違う。)

八〇年代において、十年や二十年あるいはそれ以上継続されるべきもの、そのような単位で振り返ってみても良いものとは、商売であり、事業であり、勤続であり、家族であり、生活であっただろう。そういうものにふさわしい年月の単位だったし、あろうことかロックバンドが同じ年月続いていたとしても、どちらかと言えばそれは、継続というよりも流れにまかせた末のなれの果てのようなものを思い浮かばせただろう。

金持ちの道楽オヤジみたいな人は、もちろん昔からいただろうとは思うし、そういうオッサンで七〇年代や八〇年代から楽器を持って演奏してた人もいたかもしれないが、ロックとかは、道楽とは根本的に違う。道楽的なロックもあるだろうけど、年月を経ても年齢を重ねてもバンドを続けるというのは、そのすべてが道楽で片付くものではないだろう。というか、ここで云いたいのは、道楽が良いとか悪いではなくて、単なる道楽では片付かないようなことを延々と続けているうちに、十年や二十年やもっと長い年月が経過してしまえるところが、八〇年代と今との違いだなあ、という…

じつに当たり前のことを何度も言って悪いけど「だから八〇年代より今の方が良い」とか、そういうことを言いたいわけではない。八〇年からさらに四〇年経っているのだから、ものごとが続いていくのはあたりまえのことである。だから、そのこと自体には何の不思議さもなければ、変化もない。それは言うまでもない。しかし、それを踏まえて、あらためて「なんか、年月が経つって、すごいことだよね…」ということを、言いたいだけ。(いや、そんなに言いたいってほどでもない。)