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親がちゃんとしてない、先生がちゃんとしてない、上司がちゃんとしてない、…みたいなことは、誰でもが感じることだし、それはそういうものだ、しょせん人なんてそんなものだ、と思っている。家だって、学校だって、会社だって、制度だって、仕組みだって、行政だって、国家だって、ちゃんとしてない。まあ、せいぜい、そんなものだろう。

ただし、ちゃんとしている部分も、きっと、あることはある、それは間違いない。そうでなければ、もし全く良いところが皆無ならば、我々を含む全体が、もたないはずだからだ。

であるならば、その、ちゃんとしている部分とは何か?それをある程度、正確に把握して、理解できるか?が、すごく大切だ。色々と悪い噂ばかりのシステムだけれども、今もまがりなりにも一応稼働しているのはなぜか?どの設計部分がすぐれているのか?ということだ。

その部分だけを抽出できるか?と言ったら、それは難しいだろう。ならばそれはなぜか?と考えて、それはこの害悪の部分と癒着しているからだ、となった場合、ならば最初からそうではない、良い部分だけでデザインできないものか?ゼロからそれで想像できないものか?というところが想像力の問題になってくる。その想像力で、今のものとほぼ同規模のデザインをやってみて、意外に数時間くらいで粗描き出来てしまって、にわか作りの、簡単なモデルで動かしてみる。そういうことのくり返しからしか、はじまらないのだろうなあ…と思う。まさに、音楽家が、過去の音楽の良さをグッと引き出してくるときみたいに。ニュー・クラシック、ニュー・ソウルのように試すしかないのだろうなと。