伝心

ずっと家にひきこもって、午前と午後に郵便受けをみて、広告などの郵便物にまじって私信が届いていると、それがとても嬉しくて、丹念に何度も読み返して、すぐにも返信を書こうと思うのだが、それがなかなか果たせず、結果いつまで経っても返信できない。

そんなエピソードが色川武大のエッセーに出て来て、たしかにむかしはこんなふうに、郵便での私信のやり取りが、あたりまえのように行われていたな…と思う。そして自分宛のメッセージに期待したり、返信を億劫がったりするのは、今も昔も、変わらないものだと。郵便で、相手との手紙のやり取りを経験したことのない人は、とくに四十よりも若い人ならば、すでにけっこう多いのかもしれないが。

人間が、生きているあいだはほぼ常に、いつかどこかから来る自分宛のメッセージにずっと期待し続けている、そういう感覚をおぼえてしまったのは、何時代からなのか。手紙を発明したのは、何時頃、誰によってなのか。

書くのが好きな人は昔から好きで、紙だろうが電子だろうが、どうせ書く。そういうものだ。十九世紀半ばに海底ケーブルが世界をつなぎ、やがて世界に張り巡らされた通信網が誘惑したのは、ほかならぬそういう性質の人間たちだった。