なぜか突然思い出して、筒井康隆「日日不穏」の文庫を本棚に探したのだが見当たらず、家のどこにあるのかわからない。もしかしたら実家にあって、ここには無いのかもしれない。とりあえず図書館で閉架請求して借りた。一九八四年から一九八六年にかけて雑誌に連載された日記で、刊行は一九八七年。僕がはじめて読んだのは九〇年代初頭くらいか。超多忙をきわめる著者の日々を記録した日記でもあるが、著者宛に届く関係者や知人やファンや身内の私信文面内容がそのまま掲載されていたりもする。次から次へとやってくる仕事の話、芝居や映画の打合せ、パーティー準備、グリーン車、テレビ出演、文壇バー、ホテル、レストラン、買い物、忙しなく凄まじくも華麗な、人気作家の毎日。その折々に、いくつもの短編や連載中の作品名があらわれ、構想され、書き出され、逡巡され一時保留され、ふたたび執筆され、それら作品のどれもがよく知ってるタイトルなので、マジか、あれとこれとあれが、同時並行で書かれていたのか…などと、読んでるこちらは唖然とするばかりなものすごさだ。ちなみに著者は当時五十歳前後。「虚構船団」が話題で、「夢の木坂分岐点」連載中で、日記終盤あたりで「文学部唯野教授」の準備をはじめるくらいの時期。著者の弟が早すぎる死を迎えたことがきっかけで、この連載は終わる。その思いはあえて語らず、さらに多忙の只中を駆け去って行くような本書の終わり方が、はじめて読んだ当時とても印象的だった。その感じをもう一度確かめたくて、いま再読したくなったのかもしれない。
しかし、もちろん筒井康隆はあまたいる作家のなかでも突出した売上ポテンシャルを誇る一人ではあるだろうが、それにしてもさすがにこれは華やか過ぎるし動いてる金の桁が違い過ぎで、あらためてびっくりした。これが八十年代ということなのか。読者サービス精神旺盛なことに納税額とか初版部数とかの数字も具体的に書かれているのだが、もちろん僕はそういった業界についてまるで知らないけれども、それでもこれは、現在の文芸業界界隈ではちょっと想像もつかないようなきらびやかな状況ではないのか。それはバブルとかそういうことでもあるだろうけど、それだけでは説明がつかない。面白い作家が作品を一つ書くと、それを待ちかねている無数の人々がいて、おそろしくたくさんのリアクションやフィードバックがあって、それが波のうねりのように広がっていくことが当たり前の世界で、そうでなければ、これはありえないだろう。短編一つ、エッセイ一つの価値が、今とまるで違うというのか、書く人、載せる人、読む人、それぞれの対象への喰いつきが、激しく強いというのか、なにしろ読むという営みにおいて、昔と今では全然違うような世の中だったのではないか。今ならSNSの中で炎上したり拡散したりするのも、このくらいのエネルギーが動いてるものだろうか。でも今と昔では、基本活力がケタ違いというか、一々お金が動いているというか、お金の動きが太くてわかりやすいというか、基本的な売上額が、なにしろ今とは比較にならないくらい凄いのではないか。売上がでかいというのは、つまり人間の動きが活発ということなのだろう。
しかし「売れている」ことと「世間で話題になってる」ことが必ずしも一致してない状況がおとずれたのが、その後の九〇年代も後半に掛かってからだった気もする。たとえば一九九八年リリースの、宇多田ヒカルのデビューアルバムはものすごい売上枚数だったとされているけど、いったいこの世の中で誰が宇多田ヒカルを聴いているのか不思議に思うような、当時からそれが全然見えない感じがして、それが「国民的に大ヒット」しているというのが、いまいち実感が沸かないような印象があった。あのあたりから「売れている」からと言って「人間の動きが活発」になってるようには見えない、不透明感がより強くなったという感じはあった。
上手い言い方が見つからないが、だとしたらやはり「衰弱」したのかな…と思う。細分化したとか複雑化したということでもあるけど、それも含めてやはり、三十年以上かけてゆっくりと衰弱した。でもそれが望みだったという気分も、あるのだとは思う。これはこれで良かったのだ、こっちの方がよほどまともだと感じる向きも、少なくないだろう。いや、それは単に自分に金がないから、金のある状態について無知すぎる。というだけの事かもしれないが。金があるというのは、ある人にとっては当たり前のことで、それは今も昔も変わらないということに過ぎないのかもしれないが。昔は、お金のある/ないまで、個人の判断で選択可能な事象の一つであるくらいに思えた。金持ちと貧乏は、スタイルの違いだと本気で信じることも不可能ではなかった。そういう愚かな思い込みを維持できなくなってきたことこそが「衰弱」なのだろう。