日曜日の自宅で見た、午後から夕方にかけての空、窓の外が、映像のようにゆっくりと動いていた。空が不安定だ。空が動き、とてもゆっくりと攪拌され、渦を巻いている。止んでいた風がふたたび動き出すと、遠くに雷鳴が響くのだ。この空の鳴る音。いま、この空は落ち着かない。まだ何かへと変わり、どこかへとたどり着く途中の段階だ。空が空そのものになりきれてなくて、まだ自身をきめかねて、あいまいな手探りをまさぐっている段階だ。空が空自身であることに安定できない、おどおどと、我が身をもてあまし、期待と不安に鼓動を高めているのが、この時期に恒例の経験なのだ。そんな空の様子に、誰もが影響をうけている。空の不安定さは、すべての事物がまだそれ自体として決まりきってはいないことを、何もかもが、変動の過程にあることを、まざまざと思い起こさせ、しばらくこのままでいさせてくれという怠惰の期待を、捨てざるを得ない場所にまで、人を引っ張っていく。