帰りの電車で、メールが来たので誰かと思ったらすごい久しぶりの友人からだった。「久しぶり、今度の日曜日に総合の試合が決まってさ。ディファ有明だぜ!見に来ない?」とある。ほとんど意味不明に思われたが、その友人が昔からプロレスの熱狂的ファンだという事は知っていて、僕はその世界については完全に無知だが、要するにその類のイベントへの誘いだろうと思って、「久しぶり。元気?それってプロレス?宛先間違えてない?じつは別の人を誘おうとしたでしょ。」と返信した。するとまたすぐ返信が来て「間違えてないよ!間違ってるよ、プロレスじゃなくて総合格闘技だよ、俺が出るの!」とあって、思わず座席から床へずり落ちそうになった。とりあえず「えー。。!!行くかも…でもちょっと妻に聞いてみるわ。」と返信して、すぐ妻に「あのさあ、裕二が日曜日に有明かどこかの会場でプロレスの試合に出るんだって。見にいく?」と返信したら、こちらもわりとすぐ返信があって、「なにそれ〜!!」とある。「わからん。とにかく行くか。」と返したら「わかった」とのこと。「妻も行くって。リングサイド2枚お願いします。」と返信したら「OK!ありがとうございます。」とのこと。ちなみに彼は今から十数年前の我々夫婦の結婚披露宴で半裸のプロレスラーの格好でマイクパフォーマンス芸を披露しており、その後僕は知人友人の結婚披露宴に出席した際など、同じ芸をここ十年あまりで四、五回は観ている。しかしたぶん今回はそういうことをやるわけではないと思われるが、果たしてどうなのか。そもそも、そういうこと以外のことができる人なのか?


その友人とはじめて知り合ったのは中一のときだから、よく考えたら、すでに三十年以上が経つのである。今にして思えば、当時の彼が、まさか将来プロレスだの格闘技だのにハマるような人間になるとはとても思えなかった。人間というのもさすがに、小中学生の時代と、それ以降の時代を一緒くたにされて考えられても困る、というものであろう。高校生くらいの感覚と、それ以降の感覚にある種の一貫性があるのはなんとなく理解できるけど、小学生や中学生時代というのは、同じ意味での一貫性はなくて、むしろ断絶性とでも言いたいような溝があると言った方がいいかもしれない。それは昆虫などの、幼虫と成虫の違いに近いかもしれない。幼虫は自分が将来成虫になって生きるとは想像もしていないだろうし、成虫になってしまったら幼虫時代の事を思い出すこともおそらく無いのだろうから。知らないけど。それはきっと、一つの生が続いているのではなくて、前世と来世のような関係でしか在り得てないのではないか。だから人間も、たとえば前世としての小中学生というものがあって、今そのことを思い出すにしても、過去を思い出すというよりは前世あるいは過去の別人の生として思い出しているようなものではないか。でも僕なんかは、まだそれほど子供時代と今とに変化が少ない部類かもしれないが。