ぶら下げられたニンジンに食いつこうとして走り回るのはいや、というけど、ぶら下ってるものを、見ないふりしてんのも、いやらしいしね。そういうのに超然とした態度っていうのは、やらしいよね。でもひたすらニンジンに食いつこうとしてるのも、いやなのね。だったら結局、ニンジンは何なの?ってことになるけどね。でもニンジンは、しょうがないのよ。これはもう。


あと、遠足は家に帰るまでが遠足ですっていうけど、絶対そんなことなくて、楽しい時間はその話を聞いてる時点でもう終わってるって誰でもわかってるし、そのあと家に帰るまでに、何か別の、もっと楽しいことが起こったとしたら、それは既にもう絶対に遠足とは別の思い出になるし、何もなければただの帰り道っていうだけだし。


あと、それの延長で、もし戦争に行くことになったら、行くまでのあいだで、もう既に戦争してるのと一緒の気分だろうな。気分っていうか、その行く時点で戦争に行った思い出の中に含まれるだろうね。行くまでは別の思い出だったら、もしそうなら得だな。旅行一回分多かったみたいなものだし。


ところで、クオーツ時計の長針と短針って、目盛りに数字が書いてなくてもわかります?


そりゃわかるでしょ。2本の棒の角度というか、その形みただけで、何時何分かわかるでしょ。


ああ、そうですか、じつはおれ、昔、小学生のとき、2時15分になったときの、時計の針を書きなさい、っていう問題があったんですよ、そのときおれ、長い針は15分だから3のところだって、すぐ書けるじゃないですか。でも短い針の、2時っていうのが、あれ?って思って、2時を、ちょっと過ぎるんだっけ?ちょっと前だっけ?って思って、それがわからなくなって…。


えー!?なんでなんで?2時より前には、ならないでしょ?いや、たしかに、2時ジャストの位置じゃなくて、ちょっと進んでるっていう、それを曖昧に表現しないといけないってところが、すごく嫌な感じの問題だなとは思うけど…。


ですよね?俺は何が気に入らないかって言うと、15分はびしっと正解を書けるのに、2時は曖昧な感じなんですよ、なんで、一つの問題なのに、そういうびしっとした答えと曖昧な答えを、同時に求めるのかっていう、そういう、どっちを本当は欲してるのかがはっきりしないような、聞いてる側の気持ちがぐらついてるような問いが、すごい気に入らないんですよ。


まあ、わからなくもないけど、でも2時15分で、短い針がもしかしたら2より前かも、とは思わないでしょ。


そもそもあれって、なんで短い針って、微妙に中途半端に進むんですかね?2時ならずっと2のところに停止して、3時になったらカチっていきなり3のところに切り替わればいいと思いません?


まあ、いいたい事はわかるけど、それだと時計の長針と短針で、棒の角度をみただけですぐに時間がわかる感覚が、狂うんじゃないかなあ、いや、でもまあ、わかるといえばわかるかもしれないけど。でも、あの微妙な角度の違いが、味わいなんじゃないの?


ええー、味わいですか?そういうのはいらないなあ。味わいとか、自分は、嫌ですけどね。すごい、気持ち悪いですけど。