水際

三宅さんが上海の空港から目的地のホテルへたどり着くまでの、過酷きわまりない一夜の記録。三宅さんの日記に驚かされるのはこれがはじめてではないが、しかし今回もすさまじく素晴らしかった。固唾をのんで最後まで読んだ。

制度が決めた取り組みにしたがって、いくつもの手続きが用意されていて、しかし手続きと手続きの間に大きな隙間があって、うっかりそこに落ち込んだら、最悪の場合人間はそこにハマったまま永久に出てこれないみたいな不安、自分の力ではどうしようもない分厚い制度機構の壁、規則の鉄格子というものの容赦のなさ、ほとんど不条理劇のようなそれらを一々追体験させられているかのようだ。
そして言葉。日本語と中国語と英語、次に登場する人物が、いったい何語を話すのか、それによって自らの運命が少しずつ変わっていく、切羽詰まった状況で、思いつくやり方を、直に相手にぶつけるしかない。厳しい表情を向けられることもあれば、笑顔がこぼれることもある。不機嫌や苛つきの露呈もあれば、心遣いとおもんばかりの態度もある。お前は英語が上手いなと褒められもするが、それを素直には喜べない、自分の所有する道具が、気付かぬうちに錆びてなまくらになっていたことを、今夜の自分が誰よりも自覚しているからだ。英語が達者な気さくな男性、もしあの場所にいるのが彼じゃなかったら、事態はもっと悪かったかもしれない。ある時刻を越えると灰色からグリーンに変わるらしい「健康コード」というのが、どういうものなのかわからないけど、こいつの当てにならなさが、読んでるこちら側の不安感と絶望感を効果的に増幅させてくれる。

「水際」という言葉をニュースなどですいぶんたくさん聞いたけど、ここがまさに、たぶん最も厳しい水準で管理されているであろうその場所なのだな。「水際」と呼ばれる場所でこんなシチュエーションに立たされた人が、おそらくたくさんいる。コロナ禍だけではなく、国家というものが成立してから、今までずっと、さまざまな理由で彼らはそこに待機させられ書類を書かされ質疑応答をしてきた。それを経てあのゲートを突破しなければ目的を果たせない、外国人とはそのような場所に立つことではじめて外国人となる。

日付がまわってから夜明けまでの疲労、空腹、睡魔、寒さ、身体の痛み、あーたしかにこれは地獄、読み続けるのがキツイ、ふつうに地獄だわと思う。その地獄を苦しんでいる自分と、まったく苦しんでない(ように見える)他人が、平気で同じ場所にいる。翌朝もチェックインカウンターでの日本語を解する受付者に出会った驚き、不機嫌を隠そうともしない保安所担当官の態度、出発までのあいだ急遽見舞われる体調不良、まさに行き着く暇もなく、驚きと困難が押し寄せてきて、しかし最後に、今回ばかりは頼りになったリサさんの防護服で完全装備しての最後の登場が、まるで映画のクライマックスシーンさながらであった。なにしろ無事で何よりでした。