出空港記

深夜の空港で、お腹空きそうだなんてわかりそうなものじゃないか、出発時に少しでも食べ物を確保しておくとか、なんとかならなかったのか??などと、まるで自分のことのように、三宅さん日記の19日の最初の方を読み返したりする。その「不満感」は、三宅さんに向けたものというより、今読んでいるこの文章の登場人物に向けたものである。すなわちもう自分は文章に書かれているそれを三宅さんだと思ってなくて、小説として読んでしまっている。この語り手は、日中まだ消毒用タブレットに慌てたり、ルー大柴のブログを読んで爆笑していたりする(自分も参照先の「器からアウトするほどビッグ」に、はからずもやられてしまったのだが…)。じつはこのあたりですでに小説ははじまっている。19日があのようになっていくことを既に知っている今、ふりかえったときにルー大柴のブログさえもがこの小説の出来事になっていることに気付く。

中国語でこちらに話しかけてみせるので、中国語はわからないと中国語で応じると、ああ、みたいな反応とともに、出入り口のほうに歩いていった。扉がひらいた。道路の向こうにいる、先端のとんがった医療マスクを装着した若い男が中年男性を迎えつつ、こちらにむけては、ちょっと待ってくれ、といった。おもてにはタクシーが二、三台停まっていた。どうもそのタクシーに乗り込む順番があるらしい。その後も全部で四、五人はいたのだろうか、こちらのあとからエレベーターをおりてくる旅客たちの姿があった。彼らはみなそれぞれ別々のタクシーに乗り込んだ。

このあと主人公はひとり貸切状態のバスで空港へと向かう。

医療用マスクの若い男から一枚の書類を受け取った。二週間の隔離が済んだという証明書みたいなものらしく、濡れてしまわないようにビニール袋に入っていた。医療用マスクの若い男も防護服姿の運転手も英語は解さなかったが、ジェスチャーと中国語で(胸の前に持ってきたリュックサックを抱きしめるポーズ)、その紙は絶対になくしてはいけないぞみたいなことをいった。了解。スーツケースをバスの下部に放り込んで乗車。

何かが動き始める直前の感じ。いよいよ始まる、読み手も覚悟を決める。夜の街を滑り出すタクシー。

ガラス張りの建物に入った。中は薄暗い。エスカレーターのそばに案内板が出ていたのでのぞいてみると、電車、地下鉄、バス、タクシー、それぞれの乗り場がどちらにあるのかちゃんと記載されていた。エスカレーターのそばには、たぶん電車がくるまでの時間をあまりひとめにつかないここで過ごすことにしたのだろう、若いカップルが直接フロアに尻餅ついて並び、ちょろちょろとイチャつきあっていた。タクシー乗り場はB1とのこと。エスカレーターを二つ分か三つ分おりた右手に売店があったので、ここで菓子でも買っておいたほうがいいかもしれないと思ったが、結局まあいいやとなった。左手にはタクシーロータリー。タクシーが四台ほど縦にならんでいるそばに、係員らしいおっさんがふたり、ひとりは道路に立ち、ひとりはその傍に置かれたパイプ椅子に腰かけていて管理している。後者に中国語で空港まで行きたいのだがというと、ちょっと待ってという返事があった。先着していた家族連れがタクシーに乗りこんだ。そのタクシーの背中を蹴飛ばしかねないいきおいでもうひとりのおっさんが、はやくいけ! はやくいけ! みたいなことを叫んだ。家族連れをのせたタクシーが去ると、後ろからやってきた次のタクシーに乗るように指示があった。トランクにスーツケースをのせて、助手席に乗り込んだ(ちなみに中国の車は左ハンドルである)。

いつまでも際限なく引用したくなってしまうので、このへんでやめる。このあと、事態はひじょうに錯綜しはじめて、滞る手続き、焦り、不安、苛立ち、さっき手渡された紙片やリサさんの直通電話が効力を発揮して、局面がクリアされていくときの安堵感、さらに待ち受ける次の関門、これら一つ一つが、克明に書きつけられていていく。言葉の通じない相手が求めてくるものを、こちらが徹底して是認しなければならない状況において、その相手の表情や様子やしぐさが、こちらをどれだけ翻弄するか、一喜一憂させるか。母語の異なる外国人。いきなり言葉が投げつけられて、相手が言葉を解さないとわかった瞬間の、あ、という態度、そこから意味を聞き取り、手続きを進め、場合によっては交渉する、その困難さ、厄介さ、緊張感。

何かしらの手続き、送られてきたメールや電話内容、状況の変化、展開の様子を、テキパキと要点をきれいにかいつまんで、ぱぱぱっと文章にしてあらわすのが、三宅さんは異様に上手い。わけのわからなさ、かすかな不透明さ、それにともなう不安や、腹を括った感じなども、それらに全部含まれて、ぐいぐいと読み手に積み重ねられていく。当事者として状況に巻き込まれずにはいられない文章とはこのことであろう。しかしリサさん、いつもと違ってやけに頼もしく「My mobile phone will be on tonight for you」だなんて、ちょっとグッと来させるじゃないか。

翌日、目的地の空港に降り立った語り手を待っていたかのように、防護服を着た誰かがこちらを見ている、そしてそれがほかならぬリサさんだったことに気付き、おどろいて、相手もなぜかぎこちなくて「妙に気まずい再会」になってしまうあたりとかも、じつに「小説的」であると、僕なんかは思いますね。

(よくある「ぎこちなさ」ではない、そのときと場所でしかありえない、そのようにしか書きあらわせない「ぎこちなさ」)