八景


金沢文庫まで行くか、というか何というか、金沢自然公園をぐるーっと回ってそのあと動物園にでも寄るか、ということで、朝から出かけた。思ったよりもかなり登山っぽい、わりと疲れる行程になったけれども、金沢自然公園そのものはとてもいい場所。山道を登っていくと、やがて下界を展望できる場所まで来て、つまりここが、かつて勝景とされ歌に詠まれたり広重が浮世絵に描いたりして金沢八景として有名になったまさにその地点であるらしい。が、地形そのものが埋立てられていて、本来海だった箇所にもたくさん住宅がひしめき合ってるので、そんな現代の人間がぎっしりと寄せ集まっている在り様ばかりが見下ろせて、その向こうに山々が見えて、さらにその向こうは海らしいが、かつての景観を彷彿させる要素は何もない。


勾配を少し上ったところに墓碑のようなものと案内板が立っていて、それを読むとこの山道中腹もかつては能見堂なる寺院だったとのことで、今はもう全く何もない雑木の中の地べたであるが、百何十年くらい前まで寺が存在していて、江戸時代に火災で焼けて、そのうち住職も居なくなり寺としては朽ちてなくなってしまい今に至るらしい。ほんとうに何もない。井戸の跡とかが残っているだけ。その、何も無さと、かつては在ったという情報との落差を、しばらくの間、とぼとぼと歩き回りながら感じたというか、鑑賞したというか、しばらくじっとしていた。


初夏のような日差しである。あたりはしんと静まり返っていて、風が葉を揺らす音だけが時折する。野鳥たちが、ちょっと煩すぎるのではと思うくらい盛大に鳴いている。ウグイスなどありったけの力で絶叫しているかのように鳴いている。身体の小ささを考えると信じられないほどの声量だと思う。鳥そのものの姿は見えないので、山全体が生き物として声を発しているような感じもする。もうしばらくやや下り気味に歩き進むと、やがて木々の囲まれた池があらわれる。太陽の光を反射してきらきらと輝く新緑と青い空が、さざなみの細かい斜線をのせた反転映像として池の水面に映りこんでいて、そのまま音もなく静止している。日差しが直接あたるベンチに座っているのは暑くてつらいかも、と思うような天気である。少し木陰になったベンチに座って、池の水際に沿って、お父さんと小学生くらいの娘が歩いているのを見ていた。お母さんは遠くの端の方のベンチに一人座って同じ二人を見ていた。鳥だけがずっと鳴いている。


動物園に着くころにはくたびれていた。オカピというキリンの仲間らしき動物がいて、その生き物の体表面の毛並みと色がたいへん美しくて、しばらく見とれていた。体毛はきわめて短く、ベロアとかベルベット生地のような光沢をたたえた感じで、胴体は黒から茶色へのグラデーション、後ろ足はシマウマと同じような縞々調で、まるで油絵の具で描かれたようなみっちりとした質感と色彩で、こんな鮮烈な色彩と形状の生き物がいるとは面白い、後で調べたら、上野動物園にもいるらしい。