白井晟一 入門

渋谷区立松濤美術館で「白井晟一 入門」を観る。

麻布台にある「ノアビル」をはじめて知ったのは、いつのことだったか忘れたけど、それほど昔ではないはず。つい最近のことだった気がする。たまたま、あのあたりを歩いていて、いきなりそのビルが目のまえにあらわれたのだった。

建築にかぎらないことだが、いきなり目の前に不可解な何かがあらわれると、どうしてもその「意味」とか「目的」を想像したくなる。建築のように日常の風景に混ざって存在しているなら、なおさらそう思う。どのような組織や団体が、どのような目的にもとづいて利用している施設なのかとか、そういうことを考えてしまう。

しかし少しの間でも「ノアビル」の外観を眺め、周囲をうろつき、入口周辺などに読み取れる情報などを調べているうちに、どうもそういうことではなさそうだと、これは「特殊」な建物ではないし、「特殊」な組織や団体の所有物でも利用物でもないと、わかりはじめる。

しかし、そこで「わかる」とは、何がわかったのか。

建築とはそもそも何か、衣服の延長あるいは身体の延長ということになるのか。異様な建物を見たとき、それは突然異様な風体の人物を前にしたときと似ているだろうか。それは何かを主張しているようだし、己の内側にある何かを守っているようでもある。私はこのような姿であるという表明のようでもあり、それを知らせないための隠蔽のようでもある。建築は見せる、あるいは隠す、そのことの折り重なった集積体である。しかしそのとき自分がどこにいて、どこから建築物を感じ取っているのか。白井晟一の建築作品からは、人間の身体に容易には懐柔してこないような、観る者を外へ置こうとする力が強く感じられるような気がする。まったく「昭和」の典型的イメージではない感じがする。孤立、自律の感がある。

それにしても「ノアビル」と「松濤美術館」が同じ建築家の手によるものだったとは。展示を観ていても、70年代以降の作品の異様さは印象的。白井晟一は1905年生まれ、1983年に死去。手掛けた作品は多いが、現存しないものも多く、また実現にいたらなかった計画も少なくない。