初期不良

仕事から先に帰宅した妻が、いよいよ先日買ったばかりの新しい洗濯機を初稼働させたら、スタート直後に警告音を発してエラーコードを点滅させ停止してしまったとのこと。見事に初期不良品を引き当ててしまったので修理交換依頼の連絡をしなければならない、連絡先をたしかめておいてくれと帰宅途中の僕はメールで返信する。

しかしそれよりも喫緊の問題は、いまこの洗濯機のなかにある水に浸かった洗濯物をどうするかだ。妻がひたすら洗濯物一つ一つを手で絞って水気を切って取り出す作業をえんえん繰り返してくれて、おかげで洗濯槽は空にできたけど、水は冷たいわ手首は腱鞘炎並みに痛むはで酷い目にあわされて、購入した際の店員の愛想の良い笑顔が、今やすっかり忌々しい印象の記憶へ変貌したのとこと。さもあらん。たいへんお気の毒なことであった。

遅れて帰宅した僕は、直ちにそれら洗濯物をかかえて再び玄関ドアを開け、徒歩五分くらいのコインランドリーを訪れた。じつは僕は、コインランドリーを利用するのが、これで生まれてはじめてのことである。ついに自分も、かの有名な公共施設を利用する、その期待に胸がかすかに高鳴った。

操作は、思ったよりも簡単だった。サイズや洗濯物の違いで色々使い分けるのだろうけど、おおまかには、洗濯か乾燥しかない。小さめのドラムに洗濯ものを入れ込んで、十分百円を選んで硬貨投入して、ドラム内を洗濯物が踊るように回るのをじっと見つめた。

今自分は、一人で深夜のコインランドリーに佇み、仕上がりを待ってる、まるで都市生活者、東京に住む一員として、そんな自己満悦にひたる。しかしすぐ飽きて、十分という時間の意外な長さを持て余しつつ、無人の店内をうろうろする。

十分後、出来上がった洗濯物に触れたら、まったく渇いてないことがわかった。どうもコインランドリーというのは、濡れた洗濯ものを完全に乾かそうとするなら、十分などという時間ではまるで足りないらしい。この分量だと少なくともさらにニ十分程度の追加が必要だろうか。そこまで待つのもかったるいし、あとは家の中に干せばいいかと、来る前のずぶぬれ状態よりは多少マシになった程度の洗濯物を再び袋に詰めて帰宅した。

洗濯機がまともに動かないだけでこうしてバタバタするのも、生活の脆弱性ではあるだろうけど、それにしても真冬の屋外で、かつては川や冷水に直に手を入れて洗濯や洗い物をしていたのだから、昔の人というのはすごいなと、想像を絶するような過酷な労働であるなと、その過酷さというものにも、どんなことにも慣れてしまうのが人間なのだろうなとも思うが。