ノマドランド

Amazon Primeでクロエ・ジャオ「ノマドランド」(2021年)を観た。夫に先立たれた初老の女が、家を持たない、いわばハウスレスとして、キャンピングカーでの生活を続ける。ひたすらフランシス・マクドーマンドの顔を見てるだけだった。それは何よりもフランシス・マクドーマンドの顔や姿それ自体が「強い」からだ。この「強い」は、ふさわしい語句ではない。まったく「強い」感じではない。ニュアンスとしてはむしろ逆だ。べつに自信たっぷりの溌剌とした毎日を送ってるわけではないし、それどころかこの登場人物は、これまでのあいだハウスレスな生活を続けてきたのはわかるが、その熟練とかベテラン感を感じさせるというほどでもなくて、ところどころ詰めやリスク管理も甘くて、今後を思うとやや心配になほどだ。

なにしろこの女性は、ある実質をともなった--おそらくは亡くなった夫や過去にあった時間の記憶とともに--一人の時間のなかにいるし、その時間を守らなければいけないと思っているようだ。この映画を観るとはつまり、そんな初老の女性の頭の中に流れてる時間を想像しながら、彼女の顔をじっと観ているだけみたいなことなのだ。

お金がない、家がない、そのようにしか生きられない、だから車上生活をしているということと、自らの意志でそうしてる、その生活を選んで、好きで車上生活をしている、ということは、はっきりと分けることが出来ない。前者はかわいそうだけど後者は違うとか、そういう「見方」があるとしたら、それに対してこの映画はわかりやすいヒントなど示さないだろう。あなたは困ってるからそうしてるのか?それとも好きでそうしてるのか?そんな質問に答える必要はない、そして途中でふとその問いを思い浮かべた自分は、そのことを恥じなければいけない。彼女は彼女の考えでその生活を続ける。