定点

すくなくとも九年ほど前から、毎朝決まった時間に家を出て駅まで歩く。道中、同じ方向へ向かう人々の前や後になりゆるい列をなして歩いていく。

毎日見かける人はもちろんいる、というか毎朝同時刻を目指して歩いているのだから、ほとんど同じメンバーで不思議ではない。でもそれが、半年もすれば誰も見かけなくなる。毎日同じ顔ぶれで駅へ向かうのだが、その顔ぶれが、気付けばいつの間にかがらっと変わっている。

顔ぶれと書いたが、顔はほとんど見ていない。見ているのは背中だ。後ろ姿であり、歩き方のくせや特長だ。あと鞄のかたちや靴などの特長だ。毎朝の、その歩き方、その姿勢、その後ろ姿を見て、これはあの人だとわかる。しかし、誰もがいつかは必ず姿を消してしまう。不思議なほど忽然といなくなってしまう。そして新たな人が新たな後ろ姿で登場して、やがていつもの人になる。誰かが姿を消したことにすぐ気づくわけでもなくて、あるときふと、そう言えば…、と思い出す。思い出すや否や、誰も彼もをもう見かけなくなったと気付く。

不思議なのは、自分のように九年くらいの時間、ひたすら同じ時間に同じ道を歩いている人間が一人もいないということだ。なぜ自分だけがひたすら同じ時間にとどまり、他人の顔ぶれだけが、たえず変動していくのか。もしかすると、他人も同じようなことを考えているのかもしれないが、しかし決まった行動を順守している以上、僕がその時間の定点観測者であるとは言えるだろう。会社員だとしても出社時間が早くなったり遅くなったりはするだろうし、仕事内容も変わるし、諸々変動はあるだろうけど、なかには僕のように、朝の出発時間がまったく変わらない人間も、一人や二人くらいいそうなものだが、駅までの道に、九年前から今も見かけるような人物はひとりもいない。九年も定点から動かない人間は稀だということか。

あるいは、自分が定点から動いてないという認識は、僕の幻想なのか。