遭難者/女っ気なし

渋谷ユーロスペースでギヨーム・ブラック「遭難者」(2009年)「女っ気なし」(2011年)を観る。ギヨーム・ブラック作品初体験である。とても面白かった。他の作品も見てみたいと思った。夏にはバカンス客が訪れるようなフランスの海辺の町が舞台でそこはロメールっぽいが、内容はちょっと取り付く島のないような不思議な感触だ。

「遭難者」は三十分弱の尺で、短いけどなかなか味わい深かった。主人公である男性の、おそらく誰にも思いあたるだろうありふれた程度に我儘で自分勝手な行動や態度が、たまたま知り合った男性や恋人とのやり取りによって、意外な展開に彼を連れて行くのだが、べつになんてことのない、この話の顛末が云々ではなくて、さいごはただ、恋人の女性の超クローズアップの顔。彼がそれまで口にしていた言葉や態度と大映しになったその女性の姿がさーっと混ぜ合わさる。女性の表情の推移と、男性のわざとらしい涙が並べられるが、とくに意図のようなものは感じない。そこで映画が閉じられる。シンプルでいさぎよくて鮮やかだ。もっと長く観ていたいけど、この短さだからこそ良かったとも言えるだろう。

「女っ気なし」は、まるで女っ気なしの男性が、バカンスにやってきたやけに若々しくて陽気で華やかな母娘と、ひとときの友達関係になる。そのうち男は母親に惹かれていき、母親は元々遊び好きでノリが良いので知り合った男と割合簡単にいい関係になりがちで、それが男は気が気でなく、また娘は娘で色々と複雑な思いを母にも男にも向けはする。そして彼女ら二人がかの地を去る前夜に…。という話で、これも話がどうというよりも、この映画でもまた、まずオープニングでがーんと二人の女性の堂々たるクローズアップがすごい。ビキニの水着姿で浜辺に寝そべり、海ではしゃぐ二人の様子を見ていて、フランスのバカンスって、今でもほんとうにこんななのだろうか?と素朴な疑問が浮かぶ。なんか、まるで今っぽさがないというか、それこそロメールの80年代の映画とまったく雰囲気が変わってないけど、ほんとうにそんなものだろうかと思う(男の部屋にはPCもありニンテンドウのゲームで遊んでたけど)。

「遭難者」で主人公と知り合い彼を助ける男は、「女っ気なし」で母娘と知り合う男と同一の俳優(ヴァンサン・マケーニュ)が演じている。この人物はやや太り気味で頭髪も薄くさえない格好で、性格も地味で引っ込み思案な、モテない男の典型みたいなイメージに表象されている。そのような人物を介した、あの南仏の光と海の世界というのが、まず面白い。「女っ気なし」の最後の展開は、なんとも言い難い不思議な余韻を残すもので、僕としてはかなり面白いと感じたのだけど、これは人によって感じ方が違うのではないかと、きっと不穏で不吉な、とりかえしのつかない失策のような、ある種の間違いを見てしまったような気になる人もいるのかもしれない。いずれにせよ、まるで現象のようなそれらの出来事や人の感情から、少しだけ距離をとって、その一部始終を観ていた記憶が、いつまでも瑞々しく残る。