おまかせ

L字型のカウンターで二席と六席、僕は短い方の二席側に一人で座っていて、角を挟んだ隣の二席に男女、真ん中を空けて、奥の二席には常連っぽい年配の男とそれより若い女。店に入ったときは、先客全部同伴か…と思ったけど、その後の雰囲気から見てどちらもそうではないようだった。

僕は一人なので、酒やつまみを注文する以外は黙っているわけで、そうなると角を挟んで近くに座ってる二人の会話を自然と聴き続けることになる。というか、男がはっきり喋るし声もでかいので、いやでも聴こえてくる。

男は完全に"やる気モード"に入っていて、のべつまくなし喋り続けている。口説いてます!という感じではないけど、口説く前のスタンバイ中です!という気合に満ちている。二人の時間をできるだけ楽しく気兼ねないものにするために、男性はものすごくご機嫌で優しい声色でやたらとたくさん喋って、自分のことをどうのこうのと説明して、相手に質問して、一言か二言返ってきた答えを自分なりに何倍にも膨らませて、それでまた自分がたくさん喋って、それを女性がつつましく笑う。

たぶん女性も相手を嫌ではないのだろうけど、ちょっと引き気味か。男がわりとグイグイ来るタイプだからな。でも爽やかさもあるし、しつこいとか嫌な感じではなくて好感もてる雰囲気の男だ。家業を継いだのか知らないけど、自営で従業員かかえているような仕事らしい。三十代半ばくらいだろうか、若いのに上流な部類なのだろう。相手の女も、まさにそんな男がいかにも口説こうとしそうなタイプで、すらっとキレイできちんとしていて、清楚というかやや古風なワンピースで長い黒髪の、若い子の喋り方だけど煩くはない感じの、いかにもな感じのお嬢さんである。男がやたらと打ってくる球を、模範通りにやや控えめに打ち返している。

和やかではあるが、さらなる楽しさを醸成し新たな展開を期待するためには、もう少し加熱が必要だろうか。お嬢さんは海外旅行が趣味で、何とかいう航空会社の飛行機で今度久しぶりにヨーロッパ行くので今からテンション上がってるっていう話のときだけ、例外的に声が弾んで、それを聞いた男は大いに賛同して、いいよねえ、旅行最高、ヨーロッパいいよ、俺も前にフランス行ってから何年経つだろう、ねえ君も、もっと遊びなよ若いんだから、もっともっと自分を広げてみてさあ、何でも経験してみないとダメだよ、とか、このシチュエーションだとどう聞いても自分に都合良い感じに聞こえてしまう方向性を強調しようとする。

この二人はどうなるのか、こんな感じでも、結果的には上手くいってしまうのかな。いや…でも女の方はやはり完全には気を許してないかもしれない。二人ともあんまり飲める方じゃないみたいだが、時間が経つにつれて杯が進んでかなり打ち解けた雰囲気にはなってきたけど、いかんせん男に気合が入りすぎてやしないか、ちょっと、節々でチャラいんだよね。もともとそういう性格なんだろうな、経営者だし。注文もまばらというか、思い出したように握りを頼んで、それで女も頼んで、女は他のネタも頼むと、じゃあ僕にもそれ、と男が言う。あれは絶対、女はもっとたくさん食べたいのに遠慮してる。というか男の話が長すぎるのだ。

一人で黙って、気取り澄ましたふりして若い二人の話を盗み聞きしてるおっさん、もっともいやらしい、それがわたし。でもやっぱりこういうの、風物だよなあとも思う。客層が、いつ来ても面白い。あと単純にどの女性も若くてキレイだ。キレイだけど、ただ正直あのお嬢さんは、僕の好みと、ちょっとずれるのだがなあ、だからかえって事の成り行きを楽しく眺めていられるというか、若さへの嫉妬心に苛まれなくて済むので楽なのだな。つくづくつまらない人間だな。