WANDA/ワンダ

渋谷イメージフォーラムバーバラ・ローデン「WANDA/ワンダ」(1970年)を観る。面白かった。冒頭の石炭の採掘場だかの荒涼とした景色、土木車両がひたすら大きな音を立てて駆動している。その外れにぽつんと建つ一軒家。そこがワンダが両親らと暮らす家のようだ。玄関を出てバス停まで、まるで砂漠のような、荒々しくも殺風景な採掘場をとぼとぼと歩いていく姿を、カメラは遠くからいつまでも追う。

ワンダは無気力で貧困の渦中にいる、感情の起伏も抑揚も少ない感じ。仕事が遅いという理由で仕事はクビになり、育児も家事もろくにしないとの理由で夫から離婚を迫られ、二人の子供も奪われ、遅刻して訪れた法廷で元夫からの言葉を彼女は曖昧な表情のまま受け入れる。

店でたまたま会った行きずりの相手となし崩し的に一晩を過ごし、逃げられ、居眠りしているあいだに財布の中を盗まれ、また別の店にふらふらと迷い込む。行き場もなく目的もなく意志もなく、流されるがまままた偶然出会った男の車に乗った、その男が、強盗殺人を犯した直後のデニスだった。男の逃亡に、なしくずし的にワンダも付き合うことになる。

暗さや陰鬱さに満ちていそうな映画なのに、そうではなく妙にあっさりした、軽妙なリズムの印象を受ける。それは主人公のワンダという登場人物その人に感情移入をさそうウェットさや陰鬱さが希薄だからか。「頭が悪くて不幸な女」というイメージでもない。そういう距離感の視線はない。相応に深刻な事態であるにもかかわらず、彼女の表情を見ていても当事者的な重みがない、どこまで行っても他人事のような。しかし彼女も後半はずいぶん悩み苦しむのだが。

立ち寄る先々でさらに盗難などくりかえしながら、ひたすら車を走らせるデニスの焦燥、苛立ち、神経質の様子はむしろこの映画のかなりの割合を占める。心ここにあらずで前方を見ながら運転する彼の横顔。ワンダはぶん殴られ、黙ってろと言われ、男の気が向くと服や帽子を買ってもらい、身体に触られ、しかしごく稀に褒められたらそれは嬉しい。空を飛ぶラジコン飛行機のやかましいエンジン音にやけに反応し、空に叫び、やがて車のボンネット上に眠り込んでしまうデニスという人物の過去、体調、身内のこと、今後について、彼が何を考えているのかはわからない。彼はワンダに何も説明しない。そもそも彼女を対話の相手とみなしてない。

この犯罪者デニスを演じるマイケル・ヒギンズが素晴らしい。完全なる神経症男、タバコも酒もまるで享楽しない。自分を痛めつけ、苦しめる、焦燥のなかにしか生きてない。ただ不安に怯えて、苛々して、錠剤を飲んで体調不良を誤魔化してる。その日々をくりかえすだけだ。

というか、なぜ僕は映画の中で、登場人物があのように際限なく苛ついているのを見ているのが好きなのか…。

ワンダは黙って彼にしたがうだけ。「道」のザンパノとジェルソミーナでもないし、横暴な父親(夫)と無力な娘(妻)でもないし、しかしどこかで、著しく不平等に取り結ばれた疑似的な身内の関係性がそこにはあって、女はただ黙って相手の言いなりになるしかない、いやむしろそれを望む、その不愉快さでもあり、しかしどこかで懐かしくもあるような感覚。

そして終盤、ふたたび独りになったワンダは、喧噪に誘われるようにふらふらと、また別の店に迷い込む。頭の中が真っ白になって離人症状になるくらい騒々しい店内の音楽につつまれ、隣の男にじっとりと見つめられながら、とにかく目の前の食物で空腹を満たす。