猫たちのアパートメント

渋谷・ユーロスペースチョン・ジェウン「猫たちのアパートメント」(2022年)を観た。

かつては数千か数万世帯が暮らした超巨大集合アパートが、再開発計画によって立ち退きとなり、それにともなって飼われていた百だか二百だかにもおよぶ地域猫たちが置き去りになるのを、有志の団体ががんばって他所の場所へ移動させようと奮闘する、その様子をとらえたドキュメンタリーであるが、これを観ていて始終好ましく、面白く、その世界をいつまでも見ていたいと思わせるのは、もちろん猫たちの様子に魅了されるからということでもあるけど、それ以上にこの作品の作り手の、対象に対してとる位置どりの適切さというか、妙な感情的要素によって作品そのものを左右させないような知的配慮というか、趣味の良さというか、良質な品性というか、そういう何かが、めだたないけどぴしっと一本筋の通った感じに仕立てられているからだろうと思った。

出てくる猫は、どいつもこいつも、笑うくらいに太っていて栄養状態良好で、悠々自適で暮らしてるように見え、その巨大集合住宅は廃墟というかスラムというか、瓦礫と積み上がった土砂と工事機材とゴミで混然とした、いわば都市内真空地帯みたいな区画のなかを、セキュリティ保守隊だの残り少ない住民だの猫保護有志だの鳥類を撮影するカメラマンおじさんだのが、まるで何の脈絡もなく行き交い、それぞれの目的でその場にとどまり、また去っていく。猫たちはひたすら、むすっとした無表情の不機嫌顔をカメラに向けるばかりだ。

この映画は一応、都市再開発によってそれまでの地域猫と人間の仮に営まれてきた生態系が壊れて、そのことに何とか抗おうとがんばる人々の悪戦苦闘を記録するという趣旨でつくられている映画なのだけど、見ていて思わさせるのは、彼ら彼女らや、猫や、そして何よりもその風景の荒々しさ、生々しさこそが、こうして撮影されて定着されたということにこそ価値があるのではないか、、ということだったりする。誤解をおそれず言えば、朽ち果てている巨大集合住宅や敷地内の荒れ果て混沌とした地面のディテールは、かなり魅力的である。それは廃墟美とかそういうことではなくて、いわば今動いている混沌としたダイナミズムの魅力だろうと思う。だから再開発はいいことだとか、都市はスクラップ&ビルドが本質だとか、そういうことを言いたいのでもない。まったくそうではないのだが、ただこの映画に映り込んでるものは、総じて魅力的だと言いたい。

この作品には、あからさまに猫嫌いを表明したり、猫に迷惑しているとの意見をはっきり口にする人物が出てこなくて、そこはおそらく、あえてそうしているのだし、それによってわかりやすい対立構図を作品内から取り除きたかったのだとも思う。そういうのを入れてフェアネスを標榜するようなことなく、ただ目の前のものをそのままで捉えている。それは簡単なようで、じつはとても難しいことだと思うが、そのような意志が、この淡々としたいい感じの作品を成立させるのに必要だったのだと思う。