1900 マティス

最近、手持ちの作品図版から、マティスの1890年代後半から1905年くらいまでにかけての仕事を見返している。それほどたくさんの本を持ってるわけではないし、これのカラー図版見たい…けど無い、と思うのも何点もあるので、およそ全容がわかる状況ではないのだけど、この時期のマティスの一筋縄では行かぬ逡巡、葛藤、行っては戻り、手探りしてはあきらめ、再び試しの過程に、決して多くはない図版を見ているだけでも、ある種の迫力は感じる。(それは、マティスが本当に貧乏で生活に苦労していた時期でもある。)

暗褐色の下地をベースに、それでも色彩や形態の自律性を何とか活かそうとしていて、その一方でシニャック印象派たちからの影響、というか彼らの考え方にひとまずしたがってみようとして実直に点描表現を試みたりもするし、セザンヌ的な色面分割を暗闇の中から浮かび上がらせる、陰影表現とそうではない表現の混乱をあらわにしたものもあるし、そうかと思うとあるときふと、すべてが軽やかに解決できてしまったかのような、とても好ましい風景画があったりもする。

マティスがいよいよ本領を発揮していくのは、1905年以降と言って大きく間違いはないだろうけど、しかしそれ以前の混沌、逡巡、模索が解決された結果として、それ以降の仕事があるとはまったく思えない。むしろ1890年代後半から1905年までの手探りは、とくに解決もされず、彼のバリエーションとして取捨されることなくそのまま働いているといって良いだろう。

マティスシニャックの誘いを受けて1904年にサン=トロペに滞在する。印象派的な作品群に混じって描かれた「サン=トロペのテラス」という作品が、自分にはこのうえもなく素晴らしいものに感じられる。しかも、このような作品がこの後何枚も続くわけではないのだが、この後すっかり潰えてしまうわけでもないのだ。

また翌年の夏を、マティスはコリウールで過ごす。1905年に描かれたコリウール風景をモティーフにした作品はどれもじつに素晴らしいものだ。にもかかわらず、その素晴らしさはマティスの一部をあらわすに過ぎない。「この場所、この時期のこれが決定打」というのは無いのだ。この振れ幅の大きさ、当たりはずれの激しさ、狙いの定めにくさ、思惑のわかりづらさこそが、マティスという感じがする。問題の解決とか、弁証法的発展とか、そういうのとは根本的に違う、何もかもを一緒くたに全領域的に仕事として推し進めていく巨大さがマティスだ。それは「父的」な巨大さではなくて、もっと大雑把でいい加減で、ほとんど人格に還元するのが難しいような大きさといえるだろう。