楽器的音楽

非・楽器的、そう言いたくなるような、楽器自体の物質性をあまり感じさせない音楽。

たとえば前近代の西洋音楽なら、原則として楽器演奏のすべてが部分として音楽そのものに奉仕されなければならず、音要素と完成した音楽のあらわすものとの間に、出来るだけノイズが介在しない状態が良しとされている…のだと思う(前近代音楽をほぼ聴かないのでよく知らないのだが)。

同様に電子音楽も非・楽器的な音楽だろう。完成した音楽に楽器の手触りは含まれない。しかし楽器の手触り感の、デジタル複製された感触がそこには付与される。それが明確にコピー=再現前であると知覚できることこそが、電子音楽の特性となる。

音楽である前に、まず楽器の物質性を感じさせるのが、楽器的な音楽と言えるだろう。演奏者の超絶技巧が前面に出る音楽は、楽器的音楽とは言えるかもしれないが、超絶技巧とは楽器の特性に対して演奏者が予想を越えた技術力を提示する事態を指すので、それが楽器性の露呈につながることもあれば、むしろ非楽器的なものに聴こえてしまうこともあるだろう。

楽器は音を出力する媒体で、問題となるのは音であるはずだが、そこになぜか媒体自体が紛れ込んでしまう事態。音とはフレーズでありリズムでありそれらの複合体であるが、媒体である楽器の物質性がそこに紛れ込むことで、音の成立条件を根本的に揺るがすことになる。

音楽ははじまりも終わりも不定なので時間的なフレーム枠は存在しないが、物質的にはフレームをもつ。それが媒体としての楽器にあたる。そこには増幅装置や再生装置も含まれる。