ジェフ・ベック

ジェフ・ベックの何がすごかったのか、

ギターは弦楽器だから、弾いた直後の音がもっとも大きくて、それが減衰していくのがふつうだ。ギターサウンドを聴く誰もが、ギターという楽器のもつ特性を、頭のどこかで理解しており、それを意識した上で聴いている。

そんなこと考えたこともない、という人もいるだろうが、それはその人があらかじめ想像するギターの音に慣れていて、それに気づいてないだけだ。

ジェフ・ベックのギター演奏におどろくとき、自分がいつもそのことに気づかされるのだ。

ジェフ・ベックのギターの音はしばしば、弾いた直後よりその後延びていくサステインの方が、音量的に大きくなっていく。

野蛮なほどにとめどもなく広がっていく音を、ブツッと断ち切るようにブレイクする。

これはギターの特性を知ったうえで想定される音の出方とは、逆の事態だ。

もちろん、そのような演奏をするギタリストはジェフ・ベックだけではない。今となっては、とくにめずらしくもない音だろう。

しかし、このことの異常さというか、それが本来おかしな事態であること、それに対して今でもきちんと驚いている、自分自身の行為に対して、それが異常だと自覚しているのは、ジェフ・ベックとか、その他ほんの一握りの人だけではないかと思う。

ほとんどのギタリストは、理想とか、あたえられた枠組みとか、あこがれとか、すでにある目標に対して、努力をして、なるべく百点を取ろうとする。そしてその出来に満足したり不満をおぼえたりする。出来不出来はそれぞれだろうけど、やってること自体への驚きや新鮮さはすでに失われている。

慣れてしまうより、いつまでも慣れないということの方が貴重だし、それこそが才能だろう。その意味でジェフ・ベックはすごかった。その点において、最初から最後までほぼ一貫していた。