本格楽器


 ギターは一弦から六弦までの、音の並んだ有様でしかなく、それだけだと意味が無いと思った。

 小学生の頃のことだが、夏休みのあいだ親戚の家に遊びに来ていた。部屋にアコースティックギターが置いてあったので、六本の弦すべてを、順番に、指で弾いてみると、あの開放弦の不思議な、E、A、D、G、B、Eの音が、続けて反響しながら鳴り響いた。曖昧な、だるいような、明快な感情をあらわしているようにはとても感じられないような、非人間的な、落ち着かない音の響きを聴いた。ただ弾くだけでは、こういう音なのだ。ギターを弾くのは簡単ではなさそうだった。

 これがもし、順番に弾いただけで、六つの音がすでに何かしらの和音を構成してくれたのなら、子供の自分でも面白いと思えただろう。単に指で弾くだけで、たったの一種類の結果だとしても、何かを表現できた感じを得られただろうから。しかし、そうではなく、ギターは単に弦を弾くだけでは、音楽があらわれない。そもそも、ドレミファソラシドさえ、簡単には弾くことが出来ない。ピアノの鍵盤のように、あるいは縦笛の運指のごとく、フレットを順番に抑えて弾いていけば、ドレミファ…と続けて鳴るわけではないのだ。何か別の、独特な規則性・法則性があるようなのだ。

 その後で、僕より三つか四つ年上で、当時おそらく中学生だった親戚のTさんが、そのギターで、ビートルズのPlease Please Meを弾いたのだ。"Last night I said these words to my girl…"と、適当な英語っぽい、気取った調子で歌いながら、コードをストロークする。

 それは、驚くべきものだった。歌のメロディーと、CからFへと移動して再びCへ戻るコード進行は、それぞれ別要素のまま、同時に、奇跡のような調子で奏でられて、渾然となったものとして、はじめて聴こえてきた。これが曲としてのPlease Please Meの、あの印象的な、よく知っているはずの、最初の出だし部分だったのだと、ほとんど新発見に近い興奮をおぼえたものだ。ギターとはそのように使うものらしいということが、これでわかった。笛やハーモニカと違って、ギターは弾きながら歌えるということで、楽器として、音楽の一部分を担うことに、はっきりと特化したものだということを悟った。学校では勿論、すでに笛やハーモニカで合奏のようなことをした経験はあったが、それは単に、皆で同じことをしているだけで、単なる同時演奏で、曲全体の一部を自分が担っているとは、さすがに思えなかった。本格的な楽器。というのは、おそらく、楽器ひとつでは最初から限られた働きしかできないものなのだろうと思った。弾くことで全体の構成がおぼろげに見えていき、既にそこへ関与している自分を発見する。それをわかった気になったが、わかっただけで、弾くことはできないし、これからそれを、自分ができるようになるとも思えなかった。

 ギターは、ピアノと同じような完全楽器だということを知るのは、それから十年以上も後のことである。とはいえ、ここに書いたこととは別の意味で、やはりギターは、ピアノや他の楽器とは、何かが根本的に何かが違うようでもある。