ベース

ベースという楽器は、アンサンブルで担う役割として、まずルート音を放つことで、その楽曲が次に進む方向をひとまず指し示す。だからベースは、フレーズをあらわすのではなくて、フレーズを支えるための下地をあらわす仕事を請け負っている。フレーズとはある時間内に生成するひとつの流れだが、たとえば、"ラシド…"というフレーズの最初の"ラ"が奏でられるとき、フレーズはその先どうなるのかを今のところは指し示すことができない。しかし同時にベースが"A"音を放つことで、今聴いているこの音楽は、フレーズがこの後どのように旅をするのであれ、最終的には"A"の地平へ戻ってくるであると、さしあたりの安心というか、結論の先延ばしを受け入れ待機をうながす作用を、もたらすことができる。

そのようにして、奏でられる音楽は常に不安と安心の間を行ったり来たりするものだが、ベースは最初から最後まで原則として安心だけを供給する。もちろん時折、意図的にルートを外したとしても、それは潜在的なルートに対する活気づけのためであり、そのことでところどころに空けられる空隙が、かえって曲全体が多くの不定要素をもはらんだまま前進する、より力強いものとして印象付けられることになる。

そうだとすれば、そんなベースという楽器が盤石ではないときに、音楽は新しい局面に移行しようと模索している可能性がある。ベースが盤石ではない。それはすなわち、ピッチが安定しないとか、ルートをひたすら回避して逃げ回るとか、弦の不愉快な軋みやノイズあるいは増幅周波数が頭打ちになってひどく音割れしているとか、なにしろベースが安心素材の役割を果たしておらず、まったく健やかでないときに、音楽は揺らぎながらも、新たな寄り掛かり先を求めている可能性がある。

ベースの音が聴こえない音楽は、デモテープのような感じがする。誰かがその場で簡易的に録音したばかりのものという感じがする。完成前の楽曲の粗描き、エスキース、備忘メモのような感じがある。ベースが安定しない、あるいは暴走気味の音楽からは、強い混沌、災害のような印象をおぼえる。この録音を行ったメンバーの人間関係に問題があるのではないか、という感じを受ける。技術的な巧拙ではない本質的な未構成の印象をおぼえる。それはあくまでも印象というだけの話だが、ベースが揺らぐというのはやはり危機だ。もちろん昔から、ジャズとヒップ・ホップはひとまずベースに対して、もっとも過激ではあるだろう。