師弟


師弟関係というのは難しいものだろうなと思う。最初から最後まで、関係が良好なままであることのほうが、稀ではないかと思う。

師弟関係は崩壊して当然で、むしろそれが自然ではないか。そうならないようにお互いどこかで気を使い合うなら、そうでもないのかもしれないけど。

師弟関係が終わった後で、過去の記憶として師匠をあるいは弟子を思いだすときに、つまりあれはこうだったとか、もっとこうするべきだったとか、そんな風に回想することはできるだろうし、そういう過去としてしか、学んだことや教えたこと、相手の意図や思いを、客観的な視点から思い返すことはできないのではないか。

だから、たとえば大江健三郎にとっての渡辺一夫みたいな、かつて「生徒」であった人物の一生を貫いて「先生」が心の支えになるようなことは、たしかにあるだろう。または坂本龍一にとってのドビュッシーのように、それが同じ生の時間を共有せず、人と人ではなくて、作品が人を支えるような、芸術と人によって成り立つ関係でも良いのだろう。

それは対人関係ではないとしても、いやむしろ、それこそが「師弟関係の幸福」ではないのか。現実の「師匠」もまた自分と変わらない人間であり、遥かな憧憬になってしまわないうちは、何をしでかすかわからない得体の知れぬ存在だろうから。しかしすぐれた作品こそは非生物でありながらも無限の可能性をもっていつまでも受け手に働きかけるのだから。

芸術作品と人間との関係のように、人間同士もまた、お互いの距離(時間にせよ空間にせよ)に隔たりが生じることで、その関係を尊いものに醸成できる。そうだとしたら隔たりこそが、世界を良い方向へと変化させるのかもしれない。