昔聴いた音楽だけは今でも聴ける、と思うことがある。常にそんな狭量さではつまらないが、ひとまず昔に聴いた音楽をあらためて丁寧に聴き返すことで、音楽を受け取る側である自分の設定を見直せるところはある。これとこれとこの要素が、今でも自分の嗜好の内訳に活きてるのだなとか、このくらいの距離感とバランスを、ひとまずの初期値として感じているのだなとか、つまり音楽を聴くというよりも音楽が跳ね返る対象である私の形象、硬度、粒度みたいなものを聴き取ることができる気がする。そのとき昔から知っている音楽は、決して懐かしくはない。たまに帰る実家の自室がいつもどこか余所余所しい感じがするのと同じく。