今年も年賀状は、書いて出す。出す枚数も来る枚数もずいぶん少なくはなったのだが、今年も一応、書くことは書く。例年通り、発注印刷のはがきに宛名を書くだけの作業だけど、始めると数時間は掛かるのでそれなりに面倒くさく、しかし恒例行事の季節だなという感慨もほんの少しはある。

で、自分がつい最近、その宛名書きをしている夢を見た気がするのだ。あるいは夢ではなくて、去年のことを理由もなく思い出したのかもしれない。いずれにせよ、宛名書きしている自分がいた。ただもしかすると、ここ最近の記憶な気もする。あれ?今年の年賀状はもう書いたのか、という思いもある。もしこの記憶が一年も前のことだとしたら、それはあまりにもおかしい。「これ」が去年の出来事だったはずがない、やはりどんなに遠くても一二週間前の出来事じゃないか、とか、いつまでも考え込んでしまう。

しかし、まだ確認してないけど宛名欄は白紙のはずだ。きっとそうだ。もしそうでなければ、それはそれでおかしい。一二週間前にそんな作業してるわけがない。だからきっと夢だったのだと思う。あるいは巡る一年周期の信じがたい早さがそう思わせるのだと思う。

(記憶にはもともと配置場所をもたず、時間によって近かったり遠かったりするものでもない。一年前の記憶が薄れるべきだったり、鮮明に残るべきだったりするのではなくて、むしろ一年という時間的厚みこそが、その場で仕立てられた効果的な何かでしかない。時間に割り付けられたように見える、数えることのできる目盛りは、時間を測量できるわけではない。それは単なる値の違いでしかない。)