絵を描く人が文章も書くというとき、文章を「絵の混沌、混乱、虚無、静寂」から救ってくれるもののように感じているだろうか。救うということは無いにしても、絵に流れる時間と、文章に流れる時間との違いが、別の川に浸かったようには思うかもしれない。

文章よりも絵のほうが、その絵を取り囲む景色や時間と一緒になってそこに存在していることの記憶に残りやすいと自分には感じられる。絵を観るとはつまりその絵がある場所の光とか空気を見るということなので、日付とかの目印なく、それ自体を記憶することになる。それ自体は一回限りのことで、もう一度観ても同じことは起こらない。

絵を観るとはその瞬間を記念のように記憶する行為に近づく。普遍的ではなくて特権的な出来事へ向かおうとする取り組みに近づく。文章が(もしかして映画も音楽も)、特定の場所や固有の値からじょじょに普遍へ向かうのと、絵の向かう方向は逆であるように思うことがある。