昔の漫才を今見ても、昔のギャグマンガを読み返しても、今はもう笑えないことは多い。昔読んで大笑いしたのがその箇所だというのはおぼえているのに、そこから笑いを誘発されることはない。

笑いの耐用年数はじつに短くて、それは社会のもっとも上層で、人同士でやり取りするものを多量に含んで成り立ってるからだろうと思う。

掛け合い漫才であれば、そのスピードやリズムの織り成すもの自体は古びないのだが、そこでやり取りされる意味そのものは、すでに内実が溶けて消えてしまっている。果物の外側は変わりないようで、水分はすっかり抜けてしまっているようなものだ。

フォーマットとかアクションとか運動とは、抽象的であるがゆえに時間の経過にも耐えられる強さをもつのだし、そこに流し込まれる意味内容はその場限りのものなのだ。意味内容こそが面白さなのだが、それはおそらくそのときだけ有効なものに過ぎないということか。