年始の挨拶に妻の実家へうかがう。

何十年か前の駅前や大通りを写した写真を見て現在のどの場所かを探すクイズ番組を見ながら、ああここは秋葉原とか、ここは表参道でしょうとか、テレビの前でそんな話をしながら過ごす。

僕は埼玉で育ったので、都内に出るなら池袋経由だったので、渋谷駅のことはあまり多くのイメージを過去の記憶に残してないのだけど、京王線沿線に住むこちらのご家族の皆さんにとって渋谷駅は昔から身近なのだなと、過去の記憶にまつわるそんな話をしてるとよくわかる。年始の挨拶に伺うのもすでに二十数回を数えるわけだが、あらためて他所の家族が囲む団らんの場にぼく一人だけが、まさに異分子としてここにいるのだなというのを思い出す。

しかし異分子のくせに遠慮深さやつつましさなど微塵もなく、図々しくその場所から動かずにひたすら酒を吞み続けてこころから満足しているのだから、毎度のことながら、ぼくもどうかと思いますがね。思えば、いい年をして、これまでもてなすよりももてなされる回数の方が圧倒的に多いまま、ここまで来ているのだなと思う。もはやつける薬はなくどうしようもない。