PlayStation VR2を少し体験させてもらった。前バージョンが2017年だからずいぶん久しぶりだけど、印象としてさほど大きな変化は感じない。しかしやはり面白いことは面白くて、ことに「大きさ」「広さ」「高さ」を臨場感をもって見る手段としては、とても優れているように思う。たとえば巨大な四つ足の生物が自分らを跨ぎ越えていくのを見上げるとか、川を下るボートの前に乗る人がこちらに顔を向けて話しかけてくるとか、「おおー、これは初体験…」と思わせてくれるような新鮮さは、たしかにある。のだが、この視界内を、自分が動き回ったり、何らかの行動を起こすとなると、とたんに違和感というか、それに付き合ってる感が出てしまう。

試したのは主に「自動車を運転する」「崖をよじ登る」「ショットガンを構えて銃弾を装填し的に向けて撃つ」といった行為だけど、どれにしても、自分の行為がどうしても何かに変換される、その過程の方に意識が強く動いてしまう。やはり自分は動かずに、ひたすら相手や周囲に動いていてほしい。やはり、どこまでも閲覧に適してるのだなと思う。閲覧オンリーとは、つまり自分の身体を失えるということだから。

自分がその場に座っているという身体感覚と、視覚として感じ取っている周辺の景色がズレていること、座っているはずの自分の身体は視覚的には見えない。周囲を見回すと、景色が広がっているのはわかるが、見下ろすとそこに自分の身体はない。その状態のままでいるためには、自分で動かすのが可能なのは眼球だけで、それ以外はじっとしているべきなのだ。

(認識と行為の結果とをズラして破綻させてしまう余計な器官が、両手だ。)

(いや、現実の両手とVR視界に存在する両手との間にある距離のニュアンスが、VRと両立してしまうのがマズいのだ。)

体験したことがないけど、たとえばVRでのアダルト系コンテンツはすごくたくさんあるらしい。しかしこういう臨場感で、性的行為の疑似体験というのは、もうどこまで行ってもひたすら受け身で、けっして自分自身には返ってこない。それを受け止めるはずの自分の身体は存在しない。常に寸前で自分から逸れていく、その過程をこそ、楽しむみたいなことになるだろうか。

要するに「他人の体験」「他人の記憶」を、傍らで味わう、その距離感が変わっただけで、アダルト系コンテンツの根本的な体験構造としては従来通りなのだろうと思う(だからこそ「安心」できるのだろう)。