岡﨑 乾二郎「頭のうえを何かが Ones Passed Over Head」より引用です。

リハビリは患者の心身機能の改善を促す訓練です。社会的関係としてみれば心身が社会生活に対してもっていた機能を「恢復」することにありますが、損傷し壊死し、欠損してしまった脳組織は物理的にはもう恢復しない。一方で損傷したのはあくまでも脳で、麻痺してしまった身体自体は実際の損傷はしてないのです。

 僕の場合は脳の内包と呼ばれるあたりにクルミ大に近い空洞ができてしまっています。けれども脳のニューロンの組織は「可塑性」をもっていてその欠損を補う新たなネットワークを生成、組織しようとする。欠損した部分が担っていた機能、特に大きな器質の損傷が完全に代替されることはほぼ不可能ですが、一方でそのニューロンを中心とした再組織生成の可能性はまだまだ未知の部分がある。しかしながら一般的には脳梗塞を含めた脳卒中のめざましい恢復は2週間目までで、3ヵ月まで上昇し続けますが6ヵ月目になるとほぼ停滞(プラトー期)し伸びなくなるとみなされています。

 しかし可塑性の理論のもとになっているのはいわば脳の学習機能であるわけですから、以上のようなリハビリが前提とする理論を知ったとき、かつて語学の勉強は幼児までが有効で16歳をすぎたら伸びなくなり30歳以降はほとんど身につかないと言われていたような説明を思い出しました。けれども実際はスポーツの習得を含めて、あらゆる勉強は今は一生可能ですし、そうみなされています。僕は芸術教育に長いあいだ関わってきましたし、僕自身が、この年になってもいろいろ新たな技能を学び続け、また身につけてきましたから、リハビリの可能性も先のように言われている期間の制限を超えてあると思えました。そもそも芸術教育の基本も「可塑性」という概念で考え、理論家、方法を編み出してきましたから、リハビリで「可塑性」という概念を用いるのは驚きでもありましたし、「恢復」ということを先入観を超えて捉えなおすことができる理論的可能性も感じました。

 学習することとは、ある程度いままでもっていた自己意識を作り替えることが条件となります。自己意識とはプライドであり、アイデンティティです。自分を支える世界、環境への接し方のルーティン、端的にいって世界と自己を成り立たせてきた構造、作り上げてきた自我=自分の世界をいったん棚にあげて、あるいは放棄して、再度作り上げることなしに、新たな技術そして思想は身につきません。いままでの自我を維持したまま、つまり、いままでの自分の延長上で何かを改めて学んでも身につくのではなく、知識として消化されるだけです。身にはならない。ゆえに成人になってからの語学学習は身につかないと言われてきたのですね。きっとリハビリでも、この自我の壁、端的にプライド、たとえば「新しいことをいまさら学べるか」という冷笑的あるいは厭世的気分はリハビリの障害になるのでしょう。
 
 もちろん、本当に限界があるとすれば脳を含めた身体の器質的な限界であることになります。そして、その限界を引き受けた上でも、今後は外的なサポート、たとえばテクノロジーを使った外的な補助は可能なはずです。だから、きっとまた創作活動はできる、なによりも生きているうちに終えなければならない仕事のリストがはっきりと見えてきました。

「可塑性」については、以前に聴講したオンライン講座においても同様の話があったと思う、壊れた脳組織は元に戻らない。しかし脳神経の再生成、すなわちこれまで神経的につながっていた伝達経路は、破損個所とは別の経路をもって代替し、あらためて心身を制御しようと、その可能性をまさぐる。これこそがまだ未知なるニューロンを中心とした再組織生成の可能性ということで、これは自己恢復性でもあり、自己作成性でもあり、自らが成り立つ元基盤を自らの意志(生命力)によって更新しようとする力とも言えるだろうか。まさに生きる物質として。

以下はつまり、生きるとはどういうことか、についてでもあると思う。「情報=声=働きかけ」。身体があらたな私をつくり、私は道具を通して、それを事後的に発見する。私は私に出会う。

脳梗塞によって、決して容易には得ることができない(哲学的そして宗教的な)経験をすることができた(いまもしている)と思っています。

 脳梗塞の後遺症によって脳が身体を制御し、正常に運動させることができなくなることが麻痺です。意識(自我)は自分の身体が制御できない(事実、制御はできない)と感じています。しかしリハビリで直面することは、その自己意識そして認識を制御できないことこそが、もっとも困難な課題だったということです。損傷し間違えているのは脳であり意識のほうです。誤作動する自分の脳を誤作動する同じ自分の脳で修正することはほぼ不可能に近い。自分の身体の中(それを感じている)脳の中に感覚、認識の矛盾、葛藤が起こっていることは感じています。それを解釈しようとすると混乱し、よくない想定、妄想までも生まれ不安になります。リハビリの先生あるいは誰か外部の人にこの状況をなんとか正確に伝えようと(うまく伝えられないことが多いですが)状況を共有できる対象として外に出す努力は、自分を囲んでいるプレッシャーをある程度は緩和してくれます。

 会話は助けになります。会話は人と人の間だけで交わされるのではありません。手すりでも杖でも鉛筆でもふきんでもペットボトルでも道具は会話の相手になります。ようやく前に動かせるようになった手を使って壁のスイッチを押すことは、ただ前に手を出すことよりも、頭の理解を越えて、身体が勝手に一生懸命協働するようになります。まだ水の入ったペットボトルなどまるで持てなかったとき、空のペットボトルを持って机の上に置き、続けてその上にもうひとつの空のペットボトルをのせることができるか、やってみました。できることばかりで構成された動作だからできるはずと想定していました。1、2回失敗しましたができました。面白くなりペットボトルを5本ほど並べて、すべて2段にしたり、一部3段にしたり、2段目のペットボトルを逆さまにして1段目の飲口の上に飲口を立てるということなどが、2日目には余裕でできるようになりました。実はペットボトルの細い飲口の上にペットボトルをのせるのは微妙なバランスをとる難易度の高い課題だったはずです。でもそんなことは意識せず、上半身すべてが連動しその作業を遂行していました。他人事のようにいえば、その身体が作業する様子は見ていてとても「楽しそう」でした。

 すでに書いたように、自我の統御が失効している、あるいはそれが疑われているゆえに、身体の発する様々な情報--感覚できるものだけでなく、むしろ感覚できず予測できず、特定の箇所が働く不随意な運動(痙攣、緊張も含む)--は多くなります。それらが生み出す葛藤、混乱は身体の内側だけでは解決しない。それらの身体が発する無数の情報いわば声は反響、反撥しあうだけで会話を構成しないのです。道具への(道具からの)働きかけは、その渦巻く反響へ外から働きかけ、語りかけるひとつの声になります。自分がそれをやりたいと思って命じても身体は自由に働かない、手応えある外部のモノからの働きかけ、語りかけに身体は応えはじめ、また脳も遅れて、それ(外部の声の促す働き)を理解する。「できた」という瞬間は脳が理解できたという瞬間なのであって、いままで理解できていなかった脳の指令が遂行できたというわけではありません。脳はそのとき、自分のやるべきこと--やりたかったこと=意志をはじめて理解したのですから。そう考えると道具は、この声(外部からの呼びかけ、指令)を伝える媒介ではあるけれど、声そのものではないとわかります。いわば声は自分の外から訪れる新たな自分です。
 
 これらのことは絵を描くということ、ものを創るということの核心にあったことかもしれません(いや、もともとこれは生きることの本質だったといえるかもしれませんが)。脳梗塞の経験は劇的にそれを悟らせてくれました。ストロークは僕にとって恩寵でした。そして深い教えでした。

(stroke(ストローク脳梗塞を含む脳卒中のこと)