山拓央のNote(https://note.com/aoymtko/n/n0a0018098591)「死者の時間と他者の時間」を読み、ある小説を読み終えて感無量…みたいな気持になる。結末にたどりつくまでの流れが、うつくしいのだと思う。

同時に、死がいつか無へ移行することの厳粛をも思う。死ですらまだ人間の側にあり、無の手前で「まだ生きている」とまで言ったら言い過ぎだろうけど、たとえば自分が、妻よりも長く生きるというのは、それだけ妻を無へ、出来るだけ近づけないということでもあるだろう。

たとえば幽霊という題材は、死から無への移行間で生じるトラブルとその対処をめぐるフィクションとも言えるのかもしれない。

それにしても、生とは今この時間のことだが、端的にこれはなぜ、肉体の痛みを感じ取るためだけに与えらえた時間ではないのか?などとカフカ風に問いたくもなる。