ナイチンゲールは、自身「天使」のイメージが世間に流通してしまったことについて、おそらくは我が身の不幸とあきらめていながらも、それを最大限に活用して、著述活動や各種制度の樹立を、推し進めたのだろう。また「看護=天使」イメージの有効活用は、彼女自身を越えて、何よりも軍事や国家にとって都合の良い戦略だったのだろう。

兵隊もそうだけど、看護だって「人の役に立つ」ことであり「あなたは必要とされている」ということでもある。若い人がそのような仕事に憧れ、それを目指すのは当然のことであり、それは仕事というものの本質でもあるのだが、国家が戦争に向かうときには、必ずその手の惹句で、国内の人々を惹きつけようとするものだろう。

戦地へ行くこと、看護を志すこと、従軍すること、それは就職先でもあり、新たな経験可能性の宝庫であり、誰かから必要とされることでもある。私と世界とがぴったりと組み合わさって、それで私が健やかでいられる答えの一つだ。

戦争が私を、少しは賢明で思慮深い人間にするかもしれない、そんな理由で戦争あるいはその近傍へと向かう人々が、おそらくたくさんいた。

すくなくとも十九世紀半から二十世紀初頭はそうだった。まだ看護が新しかったように、戦争もまだ、未知の期待、新しい何かでもあった。

そして戦争はいまだに過去の遺物ではない。もう新しくはないけど、もはや誰も見向きもせぬ無価値なものになった、というわけでもない。これは、驚くべきことなのかもしれない。