90年代半ば頃に、高田馬場にあったネットカフェ。まだインターネットが大衆化したばかりの黎明期であるから、それ以降に普及するだろうネカフェ的な簡易宿泊休憩施設としての用途など、未だ微塵も持ち合わせていない、当時のそこは文字通りにインターネット・カフェと呼ばれるべき場所で、しかもその実態は、古めかしい雑居ビルの怪しげなドアを開けて、受付で規定時間分の料金を払い、飲み物の紙コップを手に、狭く薄暗い店内に無造作に置かれた簡易椅子に座って、背後にのたうつ配線もあらわな机上のデスクトップPCを操作してダイアルアップ接続を起動するためだけにある場所で、受付に一人座ってる店員は古本屋の店番のごとく無言で下を向いているだけだったし、壁の貼り紙には、パソコンに関する困りごとは店員に尋ねず自力で解決せよとの旨が記されていて、モデム経由でネットワークに繋がったブラウザの検索窓にポインタを合わせるとあらわれる入力履歴には、これまで無数の人々によってキーインされたのだろう大量の、かなしいほどに幼稚で浅はかなエロ系ワードが、夥しい数のリストになってずらずらと並んでいるのだった。
旅行先の街にやって来て、いくつかの店や建物を見て、もしかしてこの街は、世間の評判ほど面白くはないんじゃなかろうかと、浅はかにも感じてしまうのに似た感触を、当時インターネットにアクセスしたばかりの人は実感したのかもしれない。間違いなくワールドワイドウェブであるのに、絶望的なまでにこの場所からは卑小なものにしか触れられない、そんな予感がした。ネットが広大なのはわかるとしても、自分に出来ることは依然として限られていて、それを本気で広げたければ、手段としてのインターネットだけでは足らず、まず自分が自らの内側に何らかの方策を発見しなければ如何ともしがたいと、考えざるを得なかった。