短編集

井伏鱒二「夜ふけと梅の花」を読むと、ああこれは、短編集という形式のもっともいい感じなやつだな…と感じる。集められた一つ一つが、それぞれ固有の世界にしっかりと閉じていて何者の浸潤も許さない、それでいて一冊の本であることによって、どこかにおいてはそれぞれが響き合っている。およそ人間の小賢しい操作では実現できないはずの、無機質な自然現象の偶然の結果を思い起こさせるような。太宰治の処女作品集「晩年」が「夜ふけと梅の花」から深く影響を受けたのだろうということが、よくわかる。具体的にどの作品のどこがということではなく、全体の在り方というか、成り立ちの基礎のところでしっかりと同じ土台を受け継いだ感じがある。

年代別

僕がものごころついたのは四歳か五歳の頃、ということになるのか。ものごころがつくというのは、原初的な記憶が残っている頃のことだとすればそうなる。保育園だの幼稚園だのに通っていた記憶はおぼろげにあるし、近所に住んでいた同じ年齢くらいの子供たちと一緒に遊んだこともぼんやりと断片的におぼえている。あれがつまり、七〇年代の半ばということなのだが、さすがに幼児が「七〇年代の雰囲気」というものを記憶してそれを今でも保存しているわけではない。そこに存在したことはたしかだが、自覚はもてない。それなら「八〇年代の雰囲気」には自覚的だったのか、それを記憶しているのかと言ったら、記憶しているとも言えるが微妙とも言える。ただ四、五歳の頃より十四、五歳の記憶の方がより細やかで奥行があることは間違いない。それゆえ自分にとって七〇年代よりは八〇年代の方がより印象は色濃い。そして九〇年代も同じ意味でまた別の印象と感慨がある。

たしか二〇〇三年のことだったと思うのだが、ある日の僕は、一人で足立区から台東区あたりまで、二時間近くかけて歩いていた。とくに理由もない、単なる散歩に過ぎないのだが、そのときの散歩が、妙なことにゼロ年代前半の出来事として、忘れ難い印象として今でもふいによみがえってくることがある。別に取り立てて面白くもない、何の特別な印象も残さなかった時間であるはずなのに、なぜか歩いてたなあ…と、そのときのコマ切れになった風景と共にやけに強く思い出されるのだ。たまたま脳内記憶装置のちょっとしたバグというか、妙にアクセスしやすい位置に、偶然書き込まれてしまったエピソードなのだろうか。

僕が散歩していた二〇〇三年に、四、五歳だった子供がいたとしたら、彼らはおそらくゼロ年代の雰囲気について自覚はもてないだろう。そしていまの十代だった自分の経験の記憶が、のちの「一〇年代の雰囲気」として脳内に保管されるはずだ。それをたとえば十年後に、なつかしくも不思議な自分自身の記憶として、自分の内側に生成された宝物を見つけたようにして思い出すのだろう。しかしその頃の彼らのようには、自分はもはやゼロ年代も一〇年代も記憶しないだろうし、そのように思い出すこともできない。二〇〇三年の散歩は、ついこの間のことのようでもある。二〇〇三年という数字を、あまり昔には思えないというのもある。

面白

煩雑で厄介で面倒事が山積みだが、それがむしろもっとも厄介な問題を見えなくしてくれていて、必要とされていることをかろうじて信じることができ、自分の存在価値をかすかには感じていられる、そういう生があり、逆に厄介事や面倒事など何もなくて、金はないけど時間はやたらとある、誰とも会わないし、誰とも話さない、何の起伏も刺激もないいつもの場所に、自分だけしかいない、そういう生がある。その二つの生のどちらにも惹きつけられ、そのどちらの要素も欠くことができないとはいえ、前者に近い生を選んでこれまで生きていたので、後者への憧れを強くもつところはある。しかし後者の生が、おそらくじぶんには耐えられないだろうということもある程度予想がつく。いずれにせよ時間を重ねるとともに、この今が、どんどん面白くなくなってくるというのは、避けがたくある。その面白くなさを、モノのようにぼーっと見つめているみたいな時間がじょじょに増えていく。他人が喜んでいたり騒いでいると、少し気がまぎれるというか、そうか、あればやっぱり、それなりに面白いことだったのかもしれないな…などと、思い直したりすることもある。他人のフリに合わせているだけで、人の歓びまで自分のものだったかのように思えることもある。

水量

室内ではまったく気づくことができないのだが、ふと窓の外を見ると、ウソみたいな勢いで雨が降っているので驚いて、しばらくの間窓際に貼りついて見入っていた。降っているというよりも、ビル全体が巨大な洗車施設の中に入ったみたいな、信じられないほど猛烈な水量が、真っ白な煙を上げて斜め下へ向けて落ちていく感じだ。水の音はぜんぜん聴こえず、まるでテレビのボリュームをゼロにしたまま、大きな滝の水飛沫が飛び散っては消えゆく映像を、ぼんやりと眺めているときの印象に近い。無数の諧調に明るさのグラデーションを増やしながら、流れてまとまったり離れたり砕けたりする水の動きに、生き物の意志のようなものが見えた気がして、それに無言のままで魅入られている状態。。しかし見渡す限りの景色すべてが、今落ちてくる水に濡れている状態というのは、よくよく考えるととてつもない状態だ。いったいどれだけの水量なら、同じだけの状況を再現できるのか。人工的に再現できることとできないことの単純な違いとして、まずはこのスケール感がある。数百メートル四方とか、それだけでももはや人間の制御がまるで効かない広大な領域と言えて、雨を降らすだなんて夢のまた夢だろう。なにしろすごい。単純に量が破格にすごい。

雨光

午前中のうちに買い物を済ます。真夏と変わらない暑さ、青空を背景に、白い雲と灰色の雲が互いを重ね合わせつつ彼方まで続いている。急に思い出したかのようにどこかで一匹の蝉が鳴き始めるが、その鳴声は単独に消えゆくばかりで、時すでに遅しの印象。仲間はもうほとんど居なくなってしまって、このあと短くて孤独な余生を過ごす。寂しいけれども案外悪くない時間かもしれない将来が待っている。帰宅後ほどなくして、予報通り午後からの雨が降り出す。と思ったらすぐに窓の外が明るくなり、また暗くなり、やけに忙しない。しばらく薄暗いままだったのが、ふたたび青空になったので、窓を開けて様子を見ると晴れた空なのに雨が本降りで、濡れた家々の屋根や路面が太陽を反射してキラキラと光っている。やがてふたたび暗雲立ち込め、時折光って、しばらくしてからの雷鳴が、遠くで聴こえる。茹でたばかりの湯気立つ枝豆を皿にあけて、グラスにビールを注ぐ準備を。

銀座の観世能楽堂で第二十七回能尚会。番組は仕舞「老松」、能「景清」、狂言佐渡狐」、仕舞「梅」、能「融」。いつものように、最初笛の音が、はじまりを告げるかのように響くが、あれはなぜ、耳に刺さるようなあれほどの音量で館内にひびきわたるのだろうか。見えないところに、マイクが仕込んであるのだろうか。またなぜ囃子や地謡の声は、足元からせりあがってくるかのような、あれほどの深い低音で鳴るのか。

リズムが等間隔に分割されていない、アフリカ由来でもヨーロッパ由来でもない独自の持続感覚をもつ音楽。能はまず聴く耳に対して、いつも戸惑うような違和感をもたらす。だが、やがてその方法が形作ることのできる空間があるのだと気づいて、これがそのときにだけ枠組みがつくられそのときだけ成立する、作品としての時間と場所なのだと気付く。

能が好きな人は、能に安心できる要素を見つけられるのだろうと思う。作品の決まり、枠の部分、うつくしいとされている部分に対して、安定したものを得られる感覚があるのだろう。あるいは、舞台上にいる人間の所作や動き、姿勢、着物の着こなし、腕や首の位置と角度、中腰の高さ、床を踏み鳴らすときの音など、そこに稽古と鍛錬の結果を見、技術の高さと洗練に驚き、よろこび、そしてやはり安心にいたるのだろうと思う。

能は自分もすでに何度か観る機会を得て、もうそろそろそれをわかるべきだ、わかって楽しむべく、そこに安心を見出せるようにあらかじめ自分を対象に向き合わせるべきで、少しでも勉強して謙虚に準備すべきだと思う部分と、いやこれまでもこれからもこのままでいい、あの尋常ではない冗長性を、ほとんど苦痛に近いまでの退屈さを、そのまま受け止めているだけの、いったい何のためにこの場所にいるのかわからないようなアウェイ観客のままでいい、むしろその状態を出来るだけ維持するくらいの方が良いのだ…と思う部分と、いまだにふたつの思いがある。

それにしても「景清」の終始おそろしいまでの動きの少なさ…、ほとんど静止画を見ているかのような、片腕を少し上げるだけのことに、どれだけ手間かけるのかと言いたいような極度のミニマルさには、まあさすがに若干辟易しもする。ラスト場面、去り行く娘、人丸の背中に、父である景清が、そっと手を添える。人丸は振り向きもせず、その場から離れていく。親子別れの場面、まるで唐突にそこだけ現代ドラマになったかのような印象、別離は今も昔もまるでかわらず感傷的、その変わらなさを思う。

「融」の、現実とか今の方が茫洋としていて幽霊の方が鮮やかな世界。現実とか現在は、もはや過ぎ去った過去の残りの、何もかも消え去った後の海の上の小さな小島のようなもので、そこに小さく住まう老人は生きてはいるけど、もはやこの場所のかつての様子を記憶するだけの存在で、しかし老人の過去の記憶の中には、とてつもない絢爛なものがある。鮮やかな衣装をまとった幽霊が、輪郭を切り取られて浮かび上がるかのように、舞台の際まで迫ってくる。それはしかし誰の記憶なのか、ワキ、シテいずれの見たイメージだったのか。

それにしても四時間余り、いつも通りながら今日も長かった…。座席は一席ずつ空けてあるのでそのぶんゆとりがあっていつもより楽なのだが、それでも尋常じゃないほどの疲労感…。終演というよりも開放の思い。薄暗くなった中央通りはまだぎりぎり歩行者天国の時間。ほのかに青み掛かった明るさを残す空を見上げつつ、寄り道もせずにまっすぐ帰宅した。館内が冷房効きすぎだったのも余計にしんどかった。念のために持参した長袖がなかったら死んでたかもしれない。ちなみに日比谷線もそう。どういうつもりなのか、訳が分からない、冷蔵庫に閉じ込められているような寒さだ。よく冷やさないと傷むとでも思われてるのか。

三日前にひらいて塩して冷蔵しておいた鯵を、帰宅後にグリルで焼いて食べたら、これが超、美味しい!ということで大変うれしい。もう干物で売ってるやつは買わなくてもOKだ。出刃包丁を買ったのは魚をおろしたかったからで、なぜ魚をおろしたいのかと言えば刺身を食べたかったからだけど、結局刺身で食べられるような鮮度の魚はふだんのスーパーなんかではあまりお目にかからないので、結局は加熱する方向での調理が多くなる。それはそれで仕方ないし、別にそれでかまわない。いつもお刺身がおすすめの鮮度良い商品がそろってる魚屋さんというものが近場にあれば最高だろうけど、そんな店はぜんぜん知らないし、ネットで調べてもいまいちわからない。居酒屋なんかで人に聞けば色々を教えてくれたり情報を得られたりすることもあるけど、そういうのはいかんせん人によってばらばら、まちまちな考え方や価値観があるので、参考にいろいろ聞いてまた別角度からも確認するとか、自分なりに有益な情報とするには意外に時間や手間が掛かったりもする。店と言えばもうずいぶん昔に閉店してしまっていつもシャッターの降りてる個人経営だったであろう魚屋さんは近所にも何軒か見かけるが。やはりそういう時代だろうなと思う。スーパーの鮮魚は大したことないというのはその通りだろうけど、しかし幾つかある店の中には、釣りものを扱ってる店もあり、あれは会社としての流通ルートの一環なのかまた別の仕入れなのか不明だが、たまに面白いものが売ってることもある。まあ、そのあたりはまだ不明なことばかりだ。