銀座の観世能楽堂で第二十七回能尚会。番組は仕舞「老松」、能「景清」、狂言佐渡狐」、仕舞「梅」、能「融」。いつものように、最初笛の音が、はじまりを告げるかのように響くが、あれはなぜ、耳に刺さるようなあれほどの音量で館内にひびきわたるのだろうか。見えないところに、マイクが仕込んであるのだろうか。またなぜ囃子や地謡の声は、足元からせりあがってくるかのような、あれほどの深い低音で鳴るのか。

リズムが等間隔に分割されていない、アフリカ由来でもヨーロッパ由来でもない独自の持続感覚をもつ音楽。能はまず聴く耳に対して、いつも戸惑うような違和感をもたらす。だが、やがてその方法が形作ることのできる空間があるのだと気づいて、これがそのときにだけ枠組みがつくられそのときだけ成立する、作品としての時間と場所なのだと気付く。

能が好きな人は、能に安心できる要素を見つけられるのだろうと思う。作品の決まり、枠の部分、うつくしいとされている部分に対して、安定したものを得られる感覚があるのだろう。あるいは、舞台上にいる人間の所作や動き、姿勢、着物の着こなし、腕や首の位置と角度、中腰の高さ、床を踏み鳴らすときの音など、そこに稽古と鍛錬の結果を見、技術の高さと洗練に驚き、よろこび、そしてやはり安心にいたるのだろうと思う。

能は自分もすでに何度か観る機会を得て、もうそろそろそれをわかるべきだ、わかって楽しむべく、そこに安心を見出せるようにあらかじめ自分を対象に向き合わせるべきで、少しでも勉強して謙虚に準備すべきだと思う部分と、いやこれまでもこれからもこのままでいい、あの尋常ではない冗長性を、ほとんど苦痛に近いまでの退屈さを、そのまま受け止めているだけの、いったい何のためにこの場所にいるのかわからないようなアウェイ観客のままでいい、むしろその状態を出来るだけ維持するくらいの方が良いのだ…と思う部分と、いまだにふたつの思いがある。

それにしても「景清」の終始おそろしいまでの動きの少なさ…、ほとんど静止画を見ているかのような、片腕を少し上げるだけのことに、どれだけ手間かけるのかと言いたいような極度のミニマルさには、まあさすがに若干辟易しもする。ラスト場面、去り行く娘、人丸の背中に、父である景清が、そっと手を添える。人丸は振り向きもせず、その場から離れていく。親子別れの場面、まるで唐突にそこだけ現代ドラマになったかのような印象、別離は今も昔もまるでかわらず感傷的、その変わらなさを思う。

「融」の、現実とか今の方が茫洋としていて幽霊の方が鮮やかな世界。現実とか現在は、もはや過ぎ去った過去の残りの、何もかも消え去った後の海の上の小さな小島のようなもので、そこに小さく住まう老人は生きてはいるけど、もはやこの場所のかつての様子を記憶するだけの存在で、しかし老人の過去の記憶の中には、とてつもない絢爛なものがある。鮮やかな衣装をまとった幽霊が、輪郭を切り取られて浮かび上がるかのように、舞台の際まで迫ってくる。それはしかし誰の記憶なのか、ワキ、シテいずれの見たイメージだったのか。

それにしても四時間余り、いつも通りながら今日も長かった…。座席は一席ずつ空けてあるのでそのぶんゆとりがあっていつもより楽なのだが、それでも尋常じゃないほどの疲労感…。終演というよりも開放の思い。薄暗くなった中央通りはまだぎりぎり歩行者天国の時間。ほのかに青み掛かった明るさを残す空を見上げつつ、寄り道もせずにまっすぐ帰宅した。館内が冷房効きすぎだったのも余計にしんどかった。念のために持参した長袖がなかったら死んでたかもしれない。ちなみに日比谷線もそう。どういうつもりなのか、訳が分からない、冷蔵庫に閉じ込められているような寒さだ。よく冷やさないと傷むとでも思われてるのか。