作った物の価値(作った価値)


物を作るというのは、新たな価値の発見である。というよりも、今、既に君臨している既成価値への反逆なり賛美として、何かを立ち上げることだ。


例えば、駆け出しの小説家が一流の批評家や編集者に対して感じるような、強い緊張感を身の内に保持し続けながら仕事をする事は、楽しい事ではなく窮屈で辛い事だ。しかしそこから逃げて自分の中に耽溺しては、絶対に駄目なのだという、子供じみたやせ我慢の頑張りに近いような、そのような状況で、物は作られる。


たとえば「良い物」を観た後に感銘を受けて、その後の世界すらその感銘の影響下に構築されているかのように、様相を変えてしまう事がある。それは「良い物」を良いと定義した誰かの「価値付け」の強度に打ちのめされることにほかならない。


そしてその価値付けに、結果的には心から賛同するのかもしれないし、結局反逆するのかもしれない。自分の作品というのは、これは意外と自分で観れば観るほど、結構よそよそしい白けた様相で改めて目の前に現われるもので、これがどのような「良い物」なのか?あるは「ただの詰まらない物」なのか?というのはなかなか判断ができないのだが、それより重要な事は、かつてこれを、一度でも「良いものだ」と「価値付け」したのが、他ならぬ自分であるという事であり、では今の自分は、そのときの過去の自分を信じて良いのかどうか?に、ひたすら悩み、悩み疲れると、もう発表してみようか。という気になるのかもしれない。